あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

呟き

おはようございます。

色々考え事がしたい今日この頃です。今回は私がTwitterで呟いた事で、後々見返したら面白そうだなと思うことをぺたぺたと貼っていこうと思います。

自分用にまとめるだけなので皆さんは見る必要はないですし見ない方が良いと思います。まず面白くないと思いますし、長いです。

全て個人の意見です。考えを押し付ける気もないですし誰かを否定する気もありません。

ご理解頂けた上で読む分には構いませんが…それでも不愉快に思う方が多いと思います。(下に行くほど内容が重くなるので本当にお気をつけ下さい)

f:id:ama_gasa:20200430071658j:image

それではご理解頂けた方のみどうぞ。

 

・斜陽

「桜は散る時が一番美しい」という意見には賛成だけど、それは咲き誇る姿を見た人だけが言えることだろうに。

私の愛する太陽が、光り輝き世界を照らした時代に生きられなかった事が残念で仕方ない。歴史書に描かれた姿を見て思いを馳せることしか出来ないなんて悲し過ぎる。

 

フレーバーティー

モーニングティーの魅力はわかるんだけど…深夜、空を眺めながらゆっくりと飲むフレーバーティーにはかなわないでしょう?

少しずつ色が変わっていく空を眺めるのは良いものですね。

 

・約束

幼い頃、友達同士で決めた合い言葉をずっと覚えてたから成人式の日に言ってみたの。
誰も覚えていなかった。

 

・美しいもの

ローヌ川の星月夜を見た時なんて美しい絵なんだろうって思った。

人生で一番美しいと思ったものはなんだろうな。

絵画鑑賞が趣味なのもあって、そこそこ美術品や美しい建築物は見てきたつもりなのだけど…それでも一番っていうのは難しいな。

美しさと言うよりも精巧さというか…表現が難しいんだけど「現実よりも繊細で現実よりも生々しく現実よりも美しい」と思うような作品が私は好きだな。

作り手にはこう見えているのかな、そうだとしたらなんて素敵なんだろうみたいなね。

目で見るより写真で見る方が美しいことがあるでしょう。でも写真で見るより絵で見る方が美しいでしょう。現実の方が美しいものも沢山あってそれはそれで良いのだけど…ステンドグラスから零れる光、降り注ぐ木漏れ日、瞬きするのが勿体ないような美しい空間に自分がいる時、どう思うかによって感覚は変わりそうだな。

結局一番は決められない。どれも美しくどれも大切。

 

・香水

自分の持ってる香水を友達に説明してたんだけど、普段は使ってない香水の香りを試した友達が「これ女性物っぽくないね」と。
ユニセックスだからねと答えたら、そゆのも似合うよと当たり前のように言ってくれたので、そっと微笑んだ。

 

・大切な思い出

私が家に閉じ込められてた時期、自分で靴を用意して夜に2階の自室からパイプや屋根を伝って外に出たことがあった。

親にどうしても会いたくなくて、怖くてリビングに降りれなくて、でもどうしても喉が渇いて、仕方がないから2階にあるトイレの手を洗うところの水を飲んでいた。

それでも喉の乾きに耐えられなくて、お金をガムテームで体に巻きつけて、2階の自室から飛び出し、自動販売機まで走った夏のあの日。

炭酸飲料を禁止されていて、全くと言っていいほど飲んだことの無かった缶ジュースを、初めて自販機で買った。

缶ジュースってこんな感じなんだと思ってドキドキした。

寝ているはずの時間に、勝手に家を抜け出して駄目だと言われていたジュースを買って…すごくいけないことをしている気分だった。

炭酸飲料を飲んだことがなかった私に炭酸は刺激が強すぎて飲めなくて、口の中がヒリヒリして涙が出たことをよく覚えている。憧れてたはずのものが美味しいと思えなくて何かを否定された気がした。

大切な思い出と言うには薄暗いけれど、自分で勝ち取った自由に酔ったあの日は間違いなく、私の考え方や生き方に影響を与えた。あの感情をずっと抱えて生きてくんだろうなと思う。

反動かはわからないけれど、私は「自由」に執着していて人に縛られるのがとても嫌い。善意の押し付けに対する嫌悪感も異常なくらいある。

他人の自由を尊重する、だから私を縛らないでって考え方で生きている。そんな自分を肯定していて、他の誰に肯定されなくとも私は私を裏切らないと確信を持って私に言える。

 

・成人を迎えた日の呟き

旅行をすればレディやマダムと呼ばれるし、私の中では、とっくの昔に「女の子」ではなくなっていたのに日本だとやっと成人。

レポートにも書いたけど、女性に幼さや可愛さを求めるこの国の風習はアイドル文化やアニメや漫画からも分かるようになかなか無くならないよね。楽しむのは良いと思うけど、刷り込まれてることに気づかないのは気味が悪い。

それがどれだけ不自然かも知らず、気付かないまま、過ごしていくんだろうなぁ。

成人済みの女性を集めて「女子はこっちね〜」と言いたくないから(そうしてる人を否定する意図はない)自分は気をつけようと思っている。

「女子会」等、名称がそうなっているもの以外で使うことは無いだろう。性別が女の人のことは女性って呼ぶようにしているし、そもそも人間を性別で呼び分けない。今までもこれからもその考えは変わらないと思う。

無垢であれ純粋であれって思想めちゃめちゃ気持ち悪いよね!って本気で思ってる。

でも、それに憧れる人もいるし、その考え方の人はそうやって生きていけばいいと思うの。私とは考え方が違うだけだし、違う貴方も私は肯定する。

 

・環境と思想

自分という存在をどう見るかってかなり変わるんだなって改めて思った。

完全に個としてみるか、集まりの中にある個と見るか。

個として見る場合、自分以外の誰が誰に馬鹿にされようとも 自分に直接は関係ないし自分には怒る権利がないと判断するけど、

集まりの中の個として見る場合、その集まりが馬鹿にされた場合や集まりの中の別の誰かが馬鹿にされた場合自分が馬鹿にされたように感じて相手に怒るんだよね。

誰が馬鹿にされようとも私は怒る権利を持たないって解釈をしているから、仲の良い友人のことを「あいつは性格終わってる」って誰かが言っても怒らないし食ってかかることも無い。

この人の中で私の友人は性格悪いんだなと思うだけ。

 

・「人を殺しては行けない理由を教えて?」

真剣に悩む時期あるよね。自分の常識はどうやって作られたのかに疑問を持つ時期に悩むんだと思う。

『人は一人では生きていけない、そして集団の中で生きていくためには個人が安心して暮らせるルールが必要、そのルールの筆頭にお互いを傷つけない、があるんだと思う』

私なりに考えた結果はこれなのだけど、誰かさんが納得するかは分からない。

 

・友人

男女間の友情は成立しないと目の前で「友人」に言われたのは記憶に新しい。目の前の「人間の男」に対してただただ気持ち悪いなと思ったし、家に帰って吐いた。

 

・評価

評価が最悪な映画でも自分にとって良作なら良い映画でしょ…なんで大衆評価をみて考えを改めるの?

心を揺さぶられた小説を誰が駄作と言おうが、自分にとって大切な人生の根幹になるような作品ならそれで良くない?なぜ評価を改めるの?

理解ができない。

 

・絵画教室にはほんとに感謝してる
週一の楽しみだったし、心の支えだった。

アル中の待つ家に帰るのは本当にしんどくて、なんで家に帰らなきゃなんだろうって毎週悲しかったけど絵画教室の日まで頑張ろうと1週間頑張れてたなぁ。

私の誕生日に絵画教室に行きたいと伝えて👩に散々ヒスられて結局、行かせて貰えなかったあの日のことも忘れないでしょう

👩に懇願したのなんて「これ以上お酒を飲まないで」「酷いことを言わないで」「勉強の邪魔をしないで」くらいだよ。人生で👩に本気で願ったのがそれって笑えるよね。

優しい👩に抱きしめられてみたいなぁ、とドラマを見て思ってしまった時に自分が許せなくなったよね。そんなのどこにいるんだよw

それから日本のドラマ見なくなった。

👩に抱きしめられたのなんて、産まれた時と幼少期と酔っ払った👩に足を払われて床に叩きつけられた時くらいじゃないかな?

味方が居ないので仕方が無いけどね。せめて兄弟がいればな、この苦痛を分かち合えたのに…分散できただろうにな。
あのヒステリーに1人で耐えなくて済んだだろうに、とか思ったりして…そんなこんなで嬉しい担当私、悲しい担当私、外交担当私、などが誕生した。

居たのは短い期間だったんだけどね~実際は居なかったけどいた事にしていたというか、ストレスが溜まると人間おかしくなる良い例というか…ヒスを起こす生命体にろくな奴はないから、目の前に現れたらさっさと離れた方がいいよ。どうしても離れられない場合は仕方ないから自分を分割するといいと思う。

信じられないかもしれないけど、本気でこれ対処法としてはベストだったから、耐えられざる環境にいて逃げ出せない人は是非使って!

心の底から自分はひとりじゃないぞって真剣に思い続けてると、確かにそうかもなってなってきて、担当分け出来るようになる。意識の問題なんだけど楽になる。

なんかすごく嫌なことを言われても、今言われてるのは悲しい担当で自分ではないなと思えるし、そうなるとなんか聴こえなくなってくるというか、言われてることは理解できるし脳味噌には残るんだけど他人事になってくるんだよね

すると悲しさも苦しさも感じなくなって来るんだよね。

当時は小学生だし、当たり前だけど薬物をやっていた訳でもアルコールを摂取していたわけでもない。耐えられないな!って限界突破した時に天啓を得たというか…担当分けすればいいじゃ〜ん☆ってなったんだよ確か。

結局、助けてくれるのは誰でもなく自分なんだよ!だから自分は大切にしないといけないし、自分の求めることはできる限りしたいし、他人に迷惑をかけない程度に自由に過ごさせてあげようなってなる。権利を大事にするのもそうだしね。

全ては認識と考え方の問題だったということ

👩にされた様々な出来事は今後も忘れることは無いだろうし、ネグレクトとか敵が母親のホラーゲームやホラー映画は見れなくなったけど実生活で困ることは無いしな〜

👨から受けた最悪な被害についても忘れることは無いな。不信感と共に残り続けるだろうよ。

 

・アルコールは過剰摂取しないって決めてる

酔っ払えるとかそうじゃないとかは置いといて存在が嫌いというか、お酒は好きなんだけど、うーん、表現が難しいね、酒に逃げるのが無理

それ👩と変わんないからねと思ってしまう。

お酒が本性を表すのだとしたらあまりにもあまりにも悲しい。

 

・信仰

私は無神論者だけど、「神」が人間に与える影響はとても大きいなぁと常々思っている。科学や建築、美術や文学、その他諸々、今の私達を支えるもののほとんど全てに信仰が関係している(いた)と思ってる。

神の存在証明をするために考えられたものが世界の技術や常識を変え、神を祀るために作られた建築物は今でも尚その美しさを保ち、神を称えた文章は人の生き方に大きく影響を与えていて、その概念が現代でも多くの人の心を支えているのよね。

私の愛してやまない芸術家も宗教画を描いて生計を立てていた訳だし。

歴史的な遺産はほとんどが信仰に関係しているし、神聖視されるものだからこそ現代に残っているわけだよね。

私は神様を信仰していないけれど、信仰している人のことを肯定してる。誰の信仰にも口を挟まないし、誰かの信仰する神へ失礼な態度を取る気もない。

人の心は自由であるべきだと思う。勿論、信仰もそれに含まれると思う。

でもそれを押し付けるのは違うだろう、と。自らの信仰の正しさや崇高さを広める為に諍いが起きて数え切れないほどの死者を出してきた。例え隣人の幸せを心から願っているのだとしても他者の思想を押し潰す行為は断じて容認できないし、肯定するならば、自らが虐げられる立場になった時受け入れろよ?と思う。虐げている自覚がない…想像力が欠如してるから加害者側に回れるのだろう。

信仰によって多くの血が流れ、罪の無い命が失われ、人の持つべき自由を奪ってきたことも事実。それを理解した上で信仰を捧げるのが現代にそぐう信仰のあり方なんじゃないの?と愚考する。

 

・少年達

私が仲良く話している少年達、仲が良くて、友達同士ずっと一緒に居られると思ってて、結婚が人生の幸せで、将来の不安なんてなくて、本当にきらきらしてて、それでいて歪で愛らしい。

一人ね、多分「違う」子が居るの。

彼らの思う幸せな未来図に彼は共感出来ないのだなって。俺達は同じだよなという無意識下で行われている同調圧力に、同調という形でしか意思表示できないと思っている彼に、自分なりの幸せを選ぶ道もあるのだとそっと呟き、幸せな未来図は人によって違うのだと、周りの子達に聞こえるような声で囁く役をしている。

悪気のない、悪意のない「俺達は同じだよな」という思想の残酷さよ。多分君は彼らと同じでは無いけれど、それでも幸せになれるよ。
彼らはみんないい子だけど、まだ視野が狭くて考えも浅いから、今打ち明けても上手くいかないかもしれない、でもいつかその幸せを周りも祝福してくれるようになると思う。

彼の言う「気持ち悪い」がどれだけ重たいか周りは気づかないでしょう。気付いてやれよなんて言えないし言うつもりもないし、私はただ彼らより少しだけ大人だから幸せの形はひとつでは無いことをそっと伝えるだけ。

彼らの言葉には矛盾がありえないほどあって、理解の無さ、理解する気の無さがよく出ている。その中で同じ様に振る舞いつつ、いつか受け入れて貰えるように少しだけ自己主張しようとして失敗している少年を見たら、胸が苦しくなった。私の勘違いなのかもしれないけどそう見えてしまった。

法律にも世界史にも日本史にもお勉強全般に全く興味がなく詳しくもない彼が、パートナーシップに何故詳しいのかを少しだけ考えてやってくれよと思うのは私のわがままなのだろうか。

「別に結婚しなくたって幸せじゃん。認めてもらえる時点で恵まれてるじゃん!」とマイノリティに対して言ったあと、誰が1番先に結婚するかなと無邪気に話すのはやめてくれ。

君達の、大事な、凄く大事な、一生仲良くし続けると普段から話している、多感な年頃の彼がどれだけ傷つくか。

結局自分たちの中に「違う」奴がいるなんて想像もしてなくて、みんな当たり前の幸せを甘受すると思っているのよね。想像できないからマイノリティに対して「認めてもらえるだけで幸せだろう」なんて言葉が出てくる、犠牲になるのは大事な友達なのに。

どうか世の中が彼にとっても生きやすくなりますように。

似たような事が起きる度に憤りを覚えるの。

子供の価値観を形成するであろう身近な大人は何をやっている?親は?教師は?

何故少年が当たり前であるはずの幸せを求めることに抵抗を感じなければならないのか。私に出来るのは皆の前で彼に共感して「そういう幸せもあるんだよ」と言うことだけかなって。

私を慕ってくれている彼らが無邪気に「いつ結婚したい?」とか「子供は?」とか聞いてくるけれど、悪意がないのはわかるから嫌悪感はないし、慣れてしまっていて…嘘をつくことへの罪悪感もない。

「予定ないな〜?そゆのはタイミングだよね〜」と笑いながら答えられる。でも、友達に嘘はつきたくないって普段から言ってる彼はどうなんだろうなって。

以前話し合った時に「その意見はすごく素敵だと思うけれど私は実は違う意見も持っているんだ」と伝えたら、ちゃんとみんな聞いてくれたから、自分とは違う意見も聞き入れられる良い子達なんだと思うんだよね。

だから世に蔓延る固定概念を彼らの中で覆すことは出来るはず。助けが欲しければ、いくらでも助けるから頑張れ。

世界が平和になれ、少しでも生きやすくなれ、願わくば愛らしく未来に希望を持つ若者にとって、理想を思い浮かべられるような社会になれ。誰かを好きになって想いを通わせたいという欲求を、他人が否定できる環境を容認してはならない。

私は少年に友情と愛情を天秤にかけて欲しくないんだ、2つとも勝取って幸せになってもらいたいのよな。

私がもしかして自分は人と違うかもしれないと気づいたのはずっと前だけど、ほぼ確信に変わったのは大学に入ってからだった。ジェンダーについて学んでよかったなぁ。でも気づかないままの方が良かったかなぁと少しだけ、少しだけ悩んだりして。そんなこんなで彼に共感しすぎてしまったかなと反省している、変な行動や言動はしていないから彼らに変な影響は与えてないはず。うん、中々疲れるね。

 

・在り方

あるべき自分の姿で居られなくなる可能性を考えると心の底から恐怖が湧きあがってくる。自分を自分で肯定して生きてるのに、自分が肯定できなくなったらどうしていいのか分からなくなる。

多分自殺しちゃうと思う。そうやって心を支えてるし自我を保っているのに、それで自分を認められなくなって他人に自分の評価を委ねるようになったら?1番身近な他人が私を肯定しないのに、他人からの評価で一喜一憂するの?耐えられない、心が壊れる未来しか見えない。

 

・幸せな生涯であったことを願います

これが私に出来る一番の別れの言葉なんだよね。私が死んだ時は是非そう言ってね。

私は天国にも地獄にも冥界にも行かないので、勝手に決めつけないでね。この体を含めて私だから燃えた時点で私は居なくなるから、その後を祈らないでね。

でも死んだら私は消えるし、死んだあとのことは分からないから勝手に言ってくれていいんだけどさ、生前の私はそう思っているとだけ伝えておきたい。墓参りもしなくていいからね、というかお墓はいらない。灰はゴミの日に捨ててくれて構わない。

宗教観に左右されるものだから、死んだ本人が仏教を信仰しているなら仏教式したらいいし、キリスト教を信仰しているならキリスト式にしたら良いと思うんだよね。無宗教の人は死に易いけど死後の処理が大変だわ…ゴミとして捨てていいよって言っても嫌がる人は多そうだしな…難しいね。

多分この文章を見て顔を顰める人も多いと思うけど、それで初めて自分が無意識に宗教観を刷り込まれていたと気付くんでしょうね。無宗教ならこうなるはずだよ、多分ね?

あんまりであったことないからわかんないけど…良い印象持たれないから、みんな口に出さないんだろうと思う。

うわ、なんやこいつって思うでしょう?それは当たり前だと思ってる価値観が私に備わってないからだよね。でも当たり前だと思ってるそれが正しいかどうかは分からないはずなのよね。でも私と同じような考え方をする人は圧倒的に少ないから立場が難しいね。

弁明?させてもらうと、私は(多分)信仰の場所で侮辱的な行動や敬意のない行為はした事がないと思う。何も信じていないからこそ気を付けているし調べてるよ。信仰心を持つことは出来なかったけど、それに対する憧れはあるし。

 

すごい量になってしまった…7800 over…多すぎだよwさすがに読む人いないと思うから良いのかな~自分用なら丁度良い。またまとめたいな。