あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

📚「乙一『カザリとヨーコ』」

今晩は。今日も今日とて現実逃避を続けております。

私は乙一のファンで乙一名義で出版した本は全て読んだと言っても過言ではないくらいなのですが…ブログで何も発信していなかったなぁと気付いたので以前提出したレポートを貼っておこうかなと思います。

乙一の作品で私は『ZOO』が一番好きです。その次が『箱庭図書館』です。どちらも短編集で…つまるところ私は乙一の書く短編小説が好きです。

ZOOはグロテスクな表現が含まれる作品もあるので苦手な方はいるかと思うのですが箱庭図書館は問題ないかと思います。

他作家で似た雰囲気の作品は、夏目漱石の『夢十夜』ですかね。好きな方は好きだと思います。

ZOOは1と2があるのですが私はZOO2の『冷たい森の白い家』が大大大好きです。

死臭の漂う童話のような作品なのですが、仄暗く救いがないのが堪りません。短い作品なのに世界が完成されていてとても美しいです。

ZOOは短編集なのですが作品の方向性がバラバラでとても楽しめます。救いのない辛い話を読んだと思ったら、きらきらした優しい作品が来て、心が穏やかになったところで刺される…油断できません笑

(こういうのは苦手だな〜という作品系統がある方にはおすすめ出来ないかも知れません)

因みに、ZOO1の一番前に入っている作品が『カザリとヨーコ』なのですが、その書き出しの唆られることよ!この書き出しに惹き付けられて私は買うことを決めました…興味を引く書き出しを書くのって物凄く大変だと思うのですが重要だなぁとしみじみ。

脱線しすぎました、本題に入ります。

このレポートはZOO1に収録されている『カザリとヨーコ』という作品について書いています。

前半はネタバレしかないあらすじです。後半はちょっとした考察になっています。

レポートとしての出来は悪いので載せるのは少し恥ずかしいですがブログですし許されるでしょう…許してください笑

ガッツリネタバレなのでこれから読む方はお気をつけ下さい。

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ではどうぞ。

乙一 「カザリとヨーコ」における母

乙一「ZOO1」(集英社文庫2006/5/25出版)に収録されている「カザリとヨーコ」という作品について考察する。

「ママがわたしを殺すとしたらどのような方法で殺すだろうか。」という書き出しで始まるこの物語の主人公はヨーコという少女である。

ヨーコは一卵生の双子でカザリという妹がおり顔や体格はそっくりなのだが、母親はカザリだけを愛しヨーコを虐待している。尚、父親は居らず3人で暮らしている。

カザリは明るい性格で学校で人気者なのに対しヨーコはいじめにあっていた。ヨーコは食事も与えられていない上、部屋や布団も与えられず台所に座布団を置きその上に丸まって寝ており髪の毛もボロボロ、母親からの虐待で身体は痣まみれで歯を折られもしていたが母親に口止めされている為、質問されても階段で転んだと話していた。

その生活の中でもヨーコはカザリを恨んでおらず食べ残しを分けてくれるカザリの事を優しいと感じており、カザリが忘れ物をした際には自分のものを貸していた。

作中ヨーコは「この大切な妹をまもるためなら人殺しだってするかもしれないわ」p11と述べている。しかし実際のカザリは自分のした事をヨーコの仕業と嘘をつき母親からの怒りを逸らしたり、友人の前でヨーコをさらし者にして楽しんだりしている性格破綻者である。

物語はヨーコが学校の帰り道にある公園で迷子犬のアソをみつけ、飼い主であるスズキさんの家に連れていくことが切っ掛けで動き出す。

アソの件を機に高齢女性であるスズキさんと仲良くなったヨーコはスズキさんやアソとの交流を深め、遂にはスズキさんの家の鍵を渡される。

ヨーコを家族だと言って大切にしてくれるスズキさんと過ごしていくうちにヨーコは、今まで当たり前にされてきた母親やカザリからの行いに違和感を抱くようになる。

ある日、カザリの発言によってスズキさんに本を借りていることが母親にバレてしまい本を没収された上に首を絞められたヨーコは、家から逃げ出しスズキさんの元に行こうと考え付く。

しかし没収された本の間にスズキさんの家の鍵が挟まっていたことに思い至り、鍵を取り返す為に母親の部屋に忍び込むことを決意する。

誰もいない時間を狙って部屋に忍び込み鍵だけを抜き取って部屋から出ようとするとタイミング悪くカザリが家に帰ってきてしまう。ベッドの隙間に隠れるとカザリが部屋に入ってきて、あろう事か母親のパソコンに花瓶の水を零してしまう。慌てたカザリはヨーコが没収された本を持って部屋を出ていった。

ヨーコはカザリの行動はヨーコに罪をなすり付けるためだと理解し、母親に殺されないようにスズキさんの家に匿ってもらおうと考える。

ヨーコはスズキさんの家に向かったが、玄関でスズキさんの孫に遭遇しスズキさんが死んでしまったことを知る。同時にアソを保健所に連れていくという内容の話しを聞いてしまい、ショックを受けその場を離れ公園へ向かった。

公園のベンチで絶望しているとカザリが現れ、花瓶を倒しパソコンを濡らしたことをヨーコの仕業にして欲しいと言われる。

ヨーコは断るがカザリも諦めない。ヨーコはカザリに「母親はカザリが花瓶を倒したことを知っている」と言う嘘をつき、カザリとヨーコが入れ替わることでヨーコが代わりに怒られてあげると提案する。

提案を呑んだカザリはヨーコと服を交換しヨーコの演技をして帰宅する。

マンションの入口で暫く待っていると上からヨーコの服を着たカザリが降ってきて、それを見たヨーコが家に帰ると「ヨーコ」の遺書を書いてくれと母親に言われる。

母親はカザリとヨーコが入れ替わっていることに気付かないまま、警察の事情聴取を乗り切りその日を終えた。

ヨーコは母親が「カザリ」の正体に気づきショックを受けることを見越して荷物をまとめて家を出ることを決める。

家を出てアソを誘拐しに行ったヨーコはスズキさんと「エンドウ ヨーコ」の葬式に出られないことを申し訳なく思いながら、アソと共に駅の方向へ向かうところで物語は終わる。

「カザリとヨーコ」での母親の描かれ方についてだが、母親によるヨーコへの虐待は読む手を止めたくなるほど酷いにも関わらず、母親に「あんたは私が産んだんだ、生かすも殺すもわたしの自由なんだ!」p17と言われた時も「わたしの子じゃない、と言われるよりはきっとましだ。髪の毛をママにつかまれながらいつもそう思った。」と述べていたり、カザリが母親の手で殺された事実を知った時に母親が悲しむ事を理由に家を出たりと、ヨーコの中で母親は完全な敵としては描かれていない。

又、ヨーコの「あなたはいい子ね、大好きよ、とママは言った。それはわたしがいつも夜中に見る夢の中で聞いていた言葉だった。」p54という発言から母親に愛されたいという夢は捨てきれていないことが分かり虐待されている現実と理想との差を際立てている。

ヨーコの行動の理由に挙げられるのは自分の感情ではなく母親の感情であり、自分の意思はスズキさんに出会うまで表現されない。

カザリとの会話もほとんど無く、母親に怒鳴られる事といじめ以外での発言の場がない。他者との交流がないヨーコの狭い世界の中で母親は絶対であり、逆らうと殺されてしまう為、黙って暴力を振るわれるしかない。

同じくカザリの行動も母親の真似が多く、母親のヨーコへの酷い扱いを見ているからこそカザリもヨーコのいじめに加担している。

母親はヨーコをストレス発散に使っていて「生かすも殺すも私の自由」という発言からもわかるように物扱いしている。

カザリとヨーコの性格の差についてだが、母親の酷い差別が産んだものだと断言出来る。

ヨーコの性格は暗いと序盤で書かれているがスズキさんとの交流を深めていくうちにヨーコは笑顔が増えていく。

酷い扱いを受けていたヨーコは、スズキさんからの愛情を受けて悔しさや悲しさをといった感情を抱くようになり困惑していた。対して、母親に愛情を注がれてきたカザリは感情豊かで母親の影響の強さが伺える。

母親がカザリと同じだけの愛情をヨーコに注いでいればヨーコはいじめに遭った時、自分自身の状況を他人事のように思わず感情を表に出していたと考えられる。

母親が何故カザリとヨーコの扱いを変えたのかは作中判明しないが、二人の価値観を育てる存在である親が不公平な態度を取り続けることで二人の精神に大きな歪みを与えた事は間違いない。

唯一の救いであったスズキさんと、かつては死んでも守りたいと考えていたカザリを失ったヨーコは不自然な程に冷静だ。

最後、「どうやってでも生きていけるという力がわき「おっしゃー!」と思った。」と締めくくられるこの物語の未来は暗いにも関わらず、ヨーコ自身は明るい未来に夢を馳せている。

何も持たない中学生が犬を連れて生きていけるほど世の中は甘くないと読者は考えてしまい、そこでやっと作中抱き続けてきた違和感が解消されるように思う。

救われない現実から目を逸らし続けてきたヨーコは読者とは同じ視点で世の中を見ていない。母親やカザリを恨まず、不安な未来を見ないのである。

母親からの仕打ちがヨーコに現実的な未来を見る能力を失わせ、現実を捨てさせたのだと考えるとヨーコの感情の平坦さに説明がつく。

以上のことから「カザリとヨーコ」における母は、人間性やその後の人生にも大きな影響を与え上から自身の価値を決めつけてくる存在であり、主人公にとっての家族ではなく所有者であると考えられる。

 

レポートとしての出来が悪すぎて申し訳ないです。取り敢えず考えていることは伝わったと信じたいです。

カザリとヨーコは所謂メリーバッドエンドと呼ばれる作品だと思うのですが私はとても好きです。

私がもっと幼い頃にこの作品を読めば、辛い環境からアソと一緒に逃げ出せて良かったね!と思えたのでしょうが、今の私は描かれないヨーコの未来に光を見いだせないんですよね。

読む人によって解釈や感想が変わる作品だと思います。乙一のファンの方で私と意見が違う方もいるでしょう。

意見を交わしたいという方が居られましたらコメント、マシュマロを送って下さい♡そういうの大好きです!お待ちしております!

乙一の作品は本当に面白いのでこれを機に興味を持ってくださる方がいたら嬉しいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。