あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

✏️ 古事記「鵜葺草葺不合命」

我らが文学部日本文学科では変体仮名は勿論ですが…万葉仮名も解読する必要があります。

万葉仮名は上代で使われていた文字なのですが、レポートを見ていただいた方が早いので解説は無しです(1番上の画像が万葉仮名です)

とてつもなく出来の悪いレジュメとレポート。あまりの酷さに、提出する前、こんなんじゃ単位が貰えないと絶望したほどです(温情で貰えました)

これから大学で古事記真福寺本)の上巻、鵜葺草葺不合命を学ぶ生徒の苦しみが少しでも減るように、そしてこんな酷いレポを提出した私自身への戒めとして公開します。

さすがに全ては載せきれないので一部だけです。全部載せたらスクロールで指取れます。

一般の方(?)が読むならレポートのみがオススメです。レジュメは文章になってないので意味不明だと思います。

好きな方が読んでニタニタするくらいしか楽しみ方はないかと思います笑

古事記?ナニソレオイシイノ?」な方が読んで理解できるようなものではありません!一万字以上あります!

本当に時間の無駄なのでお気をつけください!古事記に興味がある方は読んでみても面白いかもしれませんが…気になる方はどうぞ。

レジュメ(レポートに続く)

古事記』上巻・鵜葺草葺不合命2
真福寺本『古事記』影印(桜楓社)

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翻刻本文】
631然
632後者難恨其伺情不忍恋心因治養其御子之縁附其弟玉依毘
633売而就歌之其歌日阿加院麻波責佐閉比迦礼梯斯良多麻能
634岐美能何余金曾比斯多布斗久阿理郡理余其比古遅答歌日
635意岐都登理加毛度久斯麻迩和賀葦泥斯伊毛波和須礼士余
636能許登基登選故日子穂々手見命者坐高千穂宮伍佰捌拾歳御
637淩者即在高千穂山之西也是天津日高日子波限建鵜葺草不
638葺不令命娶其姨玉依毘売命生御子名五瀬命 次稲氷命 次御
639毛沼命次若御毛詔命亦名豊御毛沼命名神倭伊波礼毘古
640今故御毛沼命者跳浪穂渡坐手常世国稲氷命者為姓国而
641入坐海原也
 
【校訂本文】
631然
632後者難恨其伺情不忍恋心因治養其御子之縁附其弟玉依毘
633売而①献歌之其歌日②阿加③陀麻波責佐閉比迦礼梯斯良多麻能
634岐美能何⑤余曾比斯多布斗久阿理郡理余其比古遅答歌日
635意岐都登理加毛度久斯麻迩和賀⑥韋泥斯伊毛波和須礼士余
636能許登⑦碁登選故日子穂々手見命者坐高千穂宮伍佰捌拾歳御
637⑧陵者即在⑨高千穂山之西也是天津日高日子波限建鵜⑩⑪葺草不
638葺不⑫合命娶其姨玉依毘売命生御子名五瀬命次稲氷命次御
639毛沼命次若御毛⑬沼命亦名豊御毛沼命名神倭伊波礼毘古
640⑭命故御毛沼命者跳⑮浪穂渡坐⑯于常世国稲⑰氷命者為姓国而
641入坐海原也
 
【訓読文】
しかれども後は、その伺ひたまひし情を恨みませども、恋しき心に忍びずて、その御子を治養しまつる縁に因りて、その弟玉依売に附いて歌を献りたまひき。その歌に日く、
あかだまは おさらへひかれど しらたまの きみがよそひし たふとくありけり
ここに、その比古遅、答へて歌ひたまひて曰く、
おきつとり かもどくしまに わがゐねし いもはわすへじ よのことごとに
故、日子穂ゝ手見命は、高千穂の宮に坐すこと、伍佰捌拾歳。御陵は高千穂の山の西に在り。
この天津日高日子波限建鵜葺草不葺合命、その姨玉依売命に娶ひして、生みませる御子の名は、五瀬命。次に稲氷命、次に御毛沼命。次に若御毛沼命、またの名は豊御毛沼命、またの名は神倭伊波礼毘古命。故、御毛沼命は、なみの穂を跳みて常世の国に渡り坐し、稲氷命は、妣の国として、海原に入り坐しき。
 
端末のせいでルビが振れないため以下にひらがなで表記します。
 
しかれどものちは、そのうかがひたまひしこころをうらみませども、こいしきこころにしのびずて、そのみこをひたしまつるよしによりて、そのいろどたまよりびめにおいてうたをたてまつりたまひき。そのうたにいわく、
あかだまは おさらへひかれど しらたまの きみがよそひし たふとくありけり
ここに、そのひこぢ、こたへてうたひたまひていわく、
おきつとり かもどくしまに わがいねし いもはわすへじ よのことごとに
かれ、ひこほほでみのみことは、たかちほのみやにいますこと、いほとせあまりやとせ。みさざきはたかちほのやまのにしにあり。
このあまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと、そのをばたまよりびめのみことにみあひして、うみませるみこのなは、いつとせのみこと。つぎにいなひのみこと、つぎにみけぬのみこと、つぎにわかみけぬののみこと、またの名はとよみけぬのみこと、またのなはかむやまとちはれびこのみこと。かれ、みけぬのみことは、なみのほをふみてとこよのくににわたりまし、いなひのみことは、ははのくにとして、うなばらにいりましき。
 
【現代語訳】
しかし、後に覗き見した心を恨むことはあったが恋しい気持ちに耐えられず、その御子を育てるという理由で弟の玉依依売に歌を託して献上した。
その歌は、「あかだまは おさらへひかれど しらたまの きみがよそひし たふとくありけり」(赤玉は最後までひかるが白玉の輝きはあなたのようで素晴らしい)というものだった。
そこで比古遅は「おきつとり かもどくしまに わがいねし いもはわすへじ よのことごとに」(鴨のなく島で一緒に寝た妻を一生忘れません)と返した。
さて、日子穂々手見の命が高千穂の宮にいた期間は伍侶捌拾歳である。そして御陵は高千穂の山の西に在る。
この天津日高日子波限建鵜葺草不葺合の命は、その姨玉依売命を妻に貰い、生んだ御子の名前は、五瀬命。次が稲氷命、次が御毛沼命。次が若御毛沼命若御毛沼命のまたの名は豊御毛沼命で、他にもあるまたの名は神倭伊波礼峨古命という。
そして、御毛沼の命はなみの穂を跳んで常世の国にわたり、稲氷の命は妣の国として、海原にお入りになった。
 
【校異】
①    「献」…「就」真
        「献」兼、前、猪、神道
→就だと意味が通らないので献とする。

②    「阿」…「河」真
        「阿」兼、前、猪、神道、春
→和歌の初め「あかだまは〜」なのであと読む。634で出てくる阿と河はよく似ている。誤字のため阿を採用する。
〇木簡庫くずし字データベース
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③    「陀」…「院」真
        「陀」兼、前、猪、神道
神道】「院」に誤る。→院は誤字なので陀とする。
〇木簡庫くずし字データベース
 f:id:ama_gasa:20210524063315j:image
 ④    「能何」…「能何」真
「何」兼、春、神道
→底本を尊重しママとする。
 
⑤    「余」…「金」真
        「余」兼、前、猪、神道
神道】「金」に誤る。→金は誤字なので余とする。
〇木簡庫くずし字データベース

f:id:ama_gasa:20210524063414j:image 

⑥    「韋」…「葦」真
        「韋」道、兼、神道
→他に葦を用いた例がないため韋とする。
 
⑦    「碁」…「基」真
        「碁」兼、前、猪、神道
→字が潰れていて判断が難しいので他のはっきりと分かる本を見たところ、碁と書いてあったので碁とした。
 
⑧    「陵」…「陵」真
「凌」兼、前、猪、神道
→氵と阝を書き間違えたと考えられるため氵を採用した。
 
⑨    「其」…「ナシ」真
        「其」兼、前、猪、道、神道
→あった方が読みやすいため其を採用した。
 
⑩    「不葦」…「不葦」真、勢
          「葦不」兼、前、猪、神道
→どちらでも意味が通るため底本を尊重した。
 
⑪    「葦草」…「葦草」真、眞、兼、神道
          「草」道
神道】ここは道は「草」一字に作るが日本紀か舊事本紀に依って修正した疑いがあり、眞福寺本と兼永本が「葦草」になっているのでこれを原型とする。→葦草を採用する。
 
⑫    「合」…「令」真
        「合」兼、前、猪、神道
→文脈を考えると令は誤字だと考えられるため合とした。
 
⑬    「沼」…「詔」真
        「沼」前、猪、神道
        「呂」勢
        「治」兼
神道】底「詔」に作り、兼「治」の右側に「沼」と小書。道「呂」。原型が「沼」であることは推定がつく。→沼を採用。
 
⑭    「命」…「今」真
        「命」兼、神道
→同じような文章が他にも出てきているが他では命と書いてあるため、今は誤字だと判断した。
 
⑮    「浪」…「浪」真、勢、朝、西、神道
        「波」兼、寛、延、記
→意味は変わらないため底本を尊重する。
 
⑯    「于」…「手」真
        「千」兼
        「于」神道
→于の意味だと考えられるので于を採用する。
 
⑰    「氷」…「泳」真、勢、神道
        「氷」兼、前、猪
→氷の方が意味が通りやすいと思うので氷を採用した。
 
 
【異訓】
「然」…「シカレドモ」訓、延、古事記伝、校訂、西郷
        「サテ」兼、道
古事記伝】然後者は、(一句を隔てて、)不忍悪心と云に係れり、然は斯加綾好母シカレドモと訓べし、上の白三云々返入、と云を承て芸るなり→シカレドモを採用した。
 
「治養」…「ヤシナヒヒタス」延
          「ヤシナヒタテマツル」寛、兼、曼、猪、竜、訓、古事記伝、校訂
          「ヤシナヒ奉」鈴、前
          「ヒタシマツル」西郷
古事記伝】治養は、比多志職都流ヒタシマツルと調べし、中巻玉垣宮段に、日足奉とある、此字の意にて多志は令。
【西郷】ヒタスは日足すで、「児は、日数の積るに随ひて、成長る物なる故に、御子を治養す日数を足らしむる意」(「記伝」)を以て、かくいう。
→ヒタシマツルを採用する。
 
「生」…「ウミマセル」校訂、訓、西郷
        「アレイセル」延
→訓読みの通りウミマセルとする。
 
「跳浪」…「ナミノ(ホヲ)フミテ」訓、校訂、西郷
          「ナミノリテ」延
          「ナミヲシヒライテ」寛、兼、鈴、前、曼、猪、竜
→素直に読むとナミノホヲフミテになるためそのまま読む。
 
「海原」…「ウナハラ」訓、寛、兼
          「ウナバラ」延、校訂
万葉集からも分かるように当時はウナハラの読みが主流のためウナハラを採用する。
 
【語釈】
○治養
古事記伝】治養は、比多志職都流ヒタシマツルと調べし、中巻玉垣宮段に、日足奉とある、此字の意にて多志は令。足なり、(今世の言にも令、足を多額と云り、)書紀私記に、云三比太須其義如何、答師説、凡人子、初生日敷最少、而漸々長養、日敷最前足、故講養長其子、賞日足耳、と云る如く、見は、日敷の積るに随ひて、成長る物なる故に、日敷を足らしむる意以て、養育ることを、然云なり、書紀にも、養、また子、養長 養持 養隊養など、皆然訓り、」上宮記(界紀に引)に、無親族部之國、唯我獨難養育比陀斯、讃紀四に、人租乃、意能賀弱見乎養治事乃如久、治賜比慈賜、萬葉十三(二十八丁)に、何時可間日足座面、(比真葉なるは、成長賜ふ自のうへより申せるにて、此多良志は、多理を延たるなり、令足には非ず、)など見ゆ、(倭姫命世記に、登働入範命、吾日足止日支とあるは、儀式帳には、御形長とあれど、これは老思ひぬるを云る如く聞ゆるなり、又今俗に、病の念りて後、漸に健になるを、比陀都と云も肥立と書は、俗のしわざにて、比も日敷の経過よしにて、日足と同意なり、若は比陀流を歌れるにもあるべし、)書紀一書に、亦云彦火々出見尊、取婦人、為乳母湯母及飯噛湯坐、凡諸部備行以奉養焉、于時績用他姫婦以乳養見之縁也とあるは、此御子を日足奉りしさまを、委く云るへなり。
 
【日本思想大系】「日足す」の意で、日は生命の霊威をいい、子供の生長力を充たす願いから出た言葉。ここでの主語は玉依此売。→補雄弟ここは同母の妹の意。
 
【西郷】ヒタスは日足すで、「児は、日数の積るに随ひて、成長る物なる故に、御子を治養す日数を足らしむる意」(「記伝」)を以て、かくいう。垂仁天皇の子ホムチワケの条に「御母を取り、大湯坐、若湯坐を定めて、日足し奉るべし」(二十四ノ五)とある。皇子養育のことを語ったものだが、それが書紀ではこのフキアヘズの段で、「彦火火出見尊、婦人を取りて乳母、湯母、及び飯嘱、湯坐としたまふ。凡て諸部備行りて、養し奉る。時に、権に他婦を用りて、乳を以て皇子を養す。此、世に乳母を取りて、児を養す縁なり」(第三の一書)といってある。ホムチワケもフキアへズも母と離別する話なので、子の養育制の由来を語る好機であったのだろう。この制度の実際についてはホムチワケの条にいう。なおヒタスではなくヒダスとする説もある。あるいはそれに従うべきか。
 
○あかだま
古事記伝】赤玉者なり。
【新潮日本古典集成】赤色の玉。「琥珀」を「阿加多末」と読んでいる。
 
○しらたま
古事記伝】白玉之なり、下に、如きと云言を添て意得べし、(此格古歌に常多し)以上三句書記には、アカダマノ、ヒカリハアリト、ヒトハイヘドとあり。
古事記全講】白い美玉のような。
【新潮日本古典集成】白色の玉。一般には真珠を指す。
 
○おきつとり
古事記伝】奥ツ鳥なり、奥に住鳥を云て、鴨の枕詞なること。
古事記全講】沖の方にいる鳥である鴨の意に、鴨にかかる枕言葉
【新潮日本古典集成】「鴨」の枕詞
 
○わがゐねし
古事記全講】私が共寝した。
 
○高千穂ノ宮
【日本思想大系】高千穂ノ宮 上文に「竺繁ノ日向之高千穂之久士布流多気
御陵者高千穂ノ山之西 紀の本文(第十段)に「葬日向高屋山上酸こ。鹿児島県姶良郡溝辺町麓の地という。
 
【西郷】この宮の所在地につき古来あれこれと議されているが、それを確定するるのは無理というべきである。「高千穂の久士布流多気
 
五瀬命
【日本思想大系】 紀に彦五瀬命鵜葺草葺不合命の第一男。イッは厳、齋の意。セは神稲で、この兄弟すべて稲にかかわる名を持つ。神武記に神倭伊波礼眠古命(神武天皇)ととるに東征し、登美眺古の矢にあたり紀国の男之水門で崩じたとある。
 
【西郷】「記伝」に「厳稲」なりというに従う。ここに生れる他の三男もみな稲または食物に因んだ名を負う。
 
 
○稲泳命
【日本思想大系】紀に稲飯命鵜葺草葺不合命の第二男。一書(第十一段)第二には第三男、同第四は彦稲飯命に作り第三男とする。稲氷のとは霊の意。神武即位前紀戊午年六月丁巳条に「稲飯命乃欺日、墜乎、吾祖則天神、母則海神。如何厄 我於陸一復厄我於海乎胞、乃抜剣入海、化為釧持神」とある。
 
【西郷】書紀に稲飯とあるによって名義は明らかである。もっとも、イナヒのヒがム-何れも甲類の仮名に属するスヒのヒ(霊)か、イヒ(飯)のヒか--両様に解しうるが、稲の霊はふつうイナダマと称するから、後説によることとする。
 
御毛沼命
【日本思想大系】紀の本文(第十段)、一第一第四に三毛入野命。同第二に三毛野命。鵜華草葺不合命の第三男。同第二は第二男、同第三第四は第四男とし、同第三は稚三毛野命に作る。ミは敬称、ヶは食物の意。神武即位前紀戊午年六月丁巳条に「三毛入野命、亦恨之日、我母及嬢並是海神。何為起波潤、以遭溺乎、則踏…浪秀、而往乎常世郷」
 
【西郷】紀には三毛入野命また三毛野命とある。ケは食物のこと、ヌは不明。語調の上で軽く添えただけであろう。
 
若御毛沼命
【日本思想大系】後の神武天皇。紀本文にはこの名がみえず一書(第十一段)第一に狭野導をあげ、「所三称狭野者、是年少時之号也」とする。同第三に稚三毛野命の名が神日本磐余彦火火出見尊の弟としてみえるが、これは同一人を別人として伝えたるのらしい。ワカは若わかしいことの美称、御毛沼命の弟をあらわす名。
 
【西郷】前の御毛沼命に対す。「豊御毛沼命」も同じ。前に「火遠理命。亦の名は天津日高日子穂穂手見命」とあったのと同じでこれは天皇になってからの称である。
 
○豊御毛沼命
【日本思想大系】紀にはこの名がみえない。トヨは豊かなさまで美称。神倭伊波礼古命後の神武天皇
 
 
常世
【日本思想大系】神武即位前紀戊午年六月丁巳条に「往三予常世郷」
 
【西郷】これも少名毘古那が常世国に渡ったと既出だが、書紀にはこのことが神武東征の途次、熊野沖で暴風にあい三毛入野命は、「我が母(玉依姫)及び嬢(豊玉姫)は、並に是海神なり。何為ぞ波潤を起てて、瀧溺すや」といって、「浪の秀を踏みて、常世郷に往でましぬ」(神武紀)と見えている。なお次の「批の国」の項を参照。スサノヲが「批の国根の堅州国」にゆきたいといって泣いたことは既出。ここには「稲氷命は、批の国と為て海原に入り坐しき」とあるが、それが書紀では三毛入野命と同様、熊野沖で暴風にあい、稲飯命は「吾が祖は天神、母は海神なり。云々」といい終るや剣を抜いて海に入り「鋤持神」となったと見える。
 
○批ノ国
【日本思想大系】「蛾」は亡き母の意で、玉依売「批ノ国根之堅州国」
 
【西郷】稲氷命が海原に入ったという所伝に関して姓氏録、右京皇別、新良貴条に彦波獄武鵬鵜草葺不合尊男稲飯命之後也是出於新良国、即為三国主、稲飯命出、於新羅国主者祖合、日本紀不見」。稲氷(飯)命が新羅へ行って国主となったという伝えは、後世に作られた話で、記の海原に入った、紀の剣を抜いて海に入ったという神話を新羅国に結び付けて潤色させたものであろう。
 
〇玉依毘売
【西郷】大物主神の妻になった活玉依毘売、「賀茂社縁起」にみえる玉依日売がよく知られている。そしてそれは神霊のより憑く女、すなわち巫女のいいである。しかしこの玉依毘売を巫女ときめつける必要はない。それは姉豊玉毘売にたいし妹をそう呼んだまでであろう。この女は姉の生み置いた子を養育するゆかりでここに登場する。つまり乳母である。
 
〇日子穂穂手見命五
【西郷】さきには「火遠理命。亦の名は天津日高日子穂穂手見命」とあった。それがここで亦の名の方で呼ばれているのは、その方が天皇として正式の名であったからで、同様のことが次節の神倭伊波礼毘古命(神武)についてもいえる。
 


レポート(レジュメの続き)

本レポートでは、発表時に不足の指摘をされた【校異】と【異訓】と【語釈】に関する追加調査の結果を始めに示す。
 
一、【校異】真福寺本633行目「河」について
資料作成時に根拠が足りなかった「河」の字を調査した結果、兼永本では「阿」とあり、注釈書にも「阿」と確認できた。(なお、調査では記伝、思想体系、猪熊本、神道大系、春満書を参照。)新潮日本古典集成に「阿加陀麻とは赤色の玉。琥珀を阿加多末と読んでいる。」という指摘がある。「木簡庫 電子くずし字データーベース」で「河」を調べたところ、くずし字が「阿」と類似しており「阿」字の誤りであった可能性がある。「河」とは「大きなかわ」という字義であるため、文脈にそぐわない。従って真福寺本の文字を「河」と認定した上で、誤写の可能性を考慮し「阿」字を採用する。

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 二、【校異】真福寺本633行目「院」について
資料作成時に根拠が足りなかった「院」の字を調査した結果、兼永本では「陀」とあり、注釈書にも「陀」と確認できた。(なお、調査では記伝、思想体系、猪熊本、神道大系を参照。)神道大系に「院は誤字なので陀とする。」という指摘がある。「木簡庫 電子くずし字データーベース」で「院」を調べたところ、くずし字が「陀」と類似しており「陀」字の誤りであった可能性がある。「院」とは「かきをめぐらした建物、上皇法皇の居所、またその人の尊称」という字義であるため、文脈にそぐわない。従って真福寺本の文字を「院」と認定した上で、誤写の可能性を考慮し「陀」字を採用する。

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 三、【校異】真福寺本634行目「金」について
資料作成時に根拠が足りなかった「金」の字を調査した結果、兼永本では「余」とあり、注釈書にも「余」と確認できた。(なお、調査では記伝、思想体系、猪熊本、神道大系を参照。)神道大系に「金は誤字なので余とする。」という指摘がある。「木簡庫 電子くずし字データーベース」で「金」を調べたところ、くずし字が「余」と類似しており「余」字の誤りであった可能性がある。「金」とは「金属、こがね」という字義であるため、文脈にそぐわない。従って真福寺本の文字を「金」と認定した上で、誤写の可能性を考慮し「余」字を採用する。

f:id:ama_gasa:20210524063541j:image
 四、【校異】真福寺本636行目「基」について
資料作成時に根拠が足りなかった「基」の字を調査した結果、兼永本では「碁」とあり、注釈書にも「碁」と確認できた。(なお、調査では記伝、思想体系、猪熊本、神道大系を参照。)「木簡庫 電子くずし字データーベース」で「基」を調べたところ、くずし字が「碁」と類似しており「碁」字の誤りであった可能性がある。「基」とは「1番下で支えるもの」という字義であるため、文脈にそぐわない。従って真福寺本の文字を「基」と認定した上で、誤写の可能性を考慮し「碁」字を採用する。

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 五、【校異】真福寺本637行目「陵」について
資料作成時に根拠が足りなかった「陵」の字を調査した結果、兼永本では「凌」とあり、注釈書にも「凌」と確認できた。(なお、調査では記伝、思想体系、猪熊本、神道大系を参照。)「木簡庫 電子くずし字データーベース」で「陵」を調べたところ、くずし字が「凌」と類似しており「凌」字の誤りであった可能性がある。「陵」とは「1番下で支えるもの」という字義であるため、文脈にそぐわない。従って真福寺本の文字を「陵」と認定した上で、誤写の可能性を考慮し「凌」字を採用する。

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六、【校異】真福寺本637行目「令」について
資料作成時に根拠が足りなかった「令」の字を調査した結果、兼永本では「合」とあり、注釈書にも「合」と確認できた。(なお、調査では記伝、思想体系、猪熊本、神道大系を参照。)「木簡庫 電子くずし字データーベース」で「令」を調べたところ、くずし字が「合」と類似しており「合」字の誤りであった可能性がある。「令」とは「いいつけ、おきて」という字義であるため、文脈にそぐわない。従って真福寺本の文字を「令」と認定した上で、誤写の可能性を考慮し「合」字を採用する。

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七、【異訓】「然」の訓読について
資料作成時に根拠が足りなかった「然」の訓読についての調査結果を以下に記す。当該箇所の「然」を鼇頭古事記、記伝、校訂本文、西郷注釈、新編全集には「シカレドモ」とあり、兼永本、神道大系では「サテ」、思想体系では「シカシテ」と訓読していた。「然」の訓読について古事記伝では「然後者は、(一句を隔てて、)不忍悪心と云に係れり、然は斯加綾好母シカレドモと訓べし、上の白三云々返入、と云を承て芸るなり」という指摘があり、シカレドモを採用する。
 
八、【異訓】「治養」の訓読について
資料作成時に根拠が足りなかった「治養」の訓読についての調査結果を以下に記す。当該箇所の「治養」を、鼇頭古事記には「ヤシナヒヒタス」、寛永版本、兼永本、曼殊院本、猪熊本、古事記伝、祐範本には「ヤシナヒタテマツル」、西郷注釈には「ヒタシマツル」、新編全集は「ヒタス」と訓読していた。「治養」の訓読について古事記伝では「治養は、比多志職都流ヒタシマツルと調べし、中巻玉垣宮段に、日足奉とある、此字の意にて多志は令。」という指摘、西郷注釈では「ヒタスは日足すで、「児は、日数の積るに随ひて、成長る物なる故に、御子を治養す日数を足らしむる意」(「記伝」)を以て、かくいう。」という指摘があり、ヒタシマツルを採用する。
 
九、【異訓】「海原」の訓読について
資料作成時に根拠が足りなかった「海原」の訓読についての調査結果を以下に記す。当該箇所の「海原」を、鼇頭古事記には「ウナバラ」、寛永版本、兼永本、思想大系、新編全集では「ウナハラ」と訓読していた。「海原」の訓読について同時代文献の「宇奈波良尓 霞多奈妣伎 多頭我祢乃 可奈之伎与比波 久尓弊之於毛保由」(万葉集二十巻 四三九九番歌)という一字一音表記例も確認できた為、今回は「海原」の訓読として「ウナハラ」を採用する。
 
十、【語釈】「赤玉」「白玉」について
資料作成時に根拠が足りなかった「赤玉」「白玉」の言葉の意味についての調査結果を以下に記す。
白玉については、古事記伝に「赤玉者なり。」、新潮日本古典集成には「赤色の玉。「琥珀」を「阿加多末」と読んでいる。」との指摘があった。
赤玉については、古事記伝「白玉之なり、下に、如きと云言を添て意得べし、(此格古歌に常多し)以上三句書記には、アカダマノ、ヒカリハアリト、ヒトハイヘドとあり。」との指摘があった。
古事記全講には「白い美玉のような。」、新潮日本古典集成「白色の玉。一般には真珠を指す。」
歌に関しては、古事記伝「一首の意は、赤玉は、緒さへ光りて、いと美好しけれども、其よりも、白玉の如くなる君が御光優ぞ、なほまさりて美き、と云て、懸塞ひ奉る御情を遮賜へるなり。」とあった。
 
以上の追加調査結果を踏まえて、以下に翻刻本文と校訂本文及び訓読文を再掲する。翻刻に誤りがあった為、変更した箇所がある。
 
翻刻本文】
631然
632後者難恨其伺情不忍恋心因治養其御子之縁附其弟玉依毘
633売而就歌之其歌日阿加院麻波袁佐閉比迦礼梯斯良多麻能
634岐美能何余金曾比斯多布斗久阿理郡理余其比古遅答歌日
635意岐都登理加毛度久斯麻迩和賀葦泥斯伊毛波和須礼士余
636能許登基登選故日子穂々手見命者坐高千穂宮伍佰捌拾歳御
637淩者即在高千穂山之西也是天津日高日子波限建鵜葺草不
638葺不令命娶其姨玉依毘売命生御子名五瀬命 次稲泳命 次御
639毛沼命次若御毛詔命亦名豊御毛沼命名神倭伊波礼毘古
640今故御毛沼命者跳浪穂渡坐手常世国稲氷命者為姓国而
641入坐海原也
 
【校訂本文】
631然
632後者難恨其伺情不忍恋心因治養其御子之縁附其弟玉依毘
633売而献歌之其歌日阿加陀麻波袁佐閉比迦礼梯斯良多麻能
634岐美能何余曾比斯多布斗久阿理郡理余其比古遅答歌日
635意岐都登理加毛度久斯麻迩和賀韋泥斯伊毛波和須礼士余
636能許登碁登選故日子穂々手見命者坐高千穂宮伍佰捌拾歳御
637陵者即在高千穂山之西也是天津日高日子波限建鵜葺草不
638葺不合命娶其姨玉依毘売命生御子名五瀬命次稲氷命次御
639毛沼命次若御毛沼命亦名豊御毛沼命名神倭伊波礼毘古
640命故御毛沼命者跳浪穂渡坐于常世国稲氷命者為姓国而
641入坐海原也
 
【訓読文】
しかれども後は、その伺ひたまひし情を恨みませども、恋しき心に忍びずて、その御子を治養しまつる縁に因りて、その玉依毘売に附いて歌を献りたまひき。その歌に日く、
赤玉は をさらへ光れど 白玉の 君がよそひし 貴くありけり
爾くして、その比古遅、答へて歌ひたまひて曰く、
沖つ鳥 鴨どくしまに 我が率寝し 妹は忘れじ 世の悉に
故、日子穂ゝ手見命は、高千穂の宮に坐すこと、伍佰捌拾歳。御陵は高千穂の山の西に在り。
この天津日高日子波限建鵜葺草不葺合命、その姨玉依売命を娶ひして、生みませる御子の名は、五瀬命。次に稲氷命、次に御毛沼命。次に若御毛沼命、またの名は豊御毛沼命、またの名は神倭伊波礼毘古命。故、御毛沼命は、なみの穂を跳みて常世の国に渡り坐し、稲氷命は、妣の国として、海原に入り坐しき。

アドバイスとまとめ

はい、ここまで掛かって漸く、翻刻と校訂本文、訓読文が完成しました〜(絶望)

こんだけ使って書けたのが前置きって辛いですね。

実際のレポートではこの後、考察に入るのですが…さすがに書ききれないのでここまでにします。

学生の皆様に言いたいのは初手JAPANナレッジって事です。真っ先にJAPANナレッジ、その後のことはそれから考えよう…とりあえず読むしかないのだ。

和歌は好きなのですが上代文学との相性が私はあまりよくなかったようです。辛かったぁ。

ただ一度でも万葉仮名や変体仮名に触れると近現代以降の作品は何でも読みやすく感じます。同年代の文献、資料を漁らなくても文字が特定できる喜び。一つの音にいくつもの漢字をあてるなや!と頭を抱えなくて済みます。文豪ののたうち回ったミミズのような文字で書かれた草稿を見ても、まだ楽なほうだと喜べるようになります。

自分の意志で上代文学を専攻した方へ、私のブログは何の役にも立ちません。

自分の意志ではなく上代文学を専攻してしまった方へ、ドンマイ、頑張れよ、こんなんでよかったら使ってくれ。

ここまで読む方はいるのでしょうか?研究者が見て怒らないとよいのだけど笑

クレームはいつでもうけつけています。ご指摘ありましたら遠慮なくご連絡ください。

それでは今回はここまで。おやすみなさい。