あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

気持ちを楽にする為に

ドヤァ

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ガッツリ書きました✌️

完自マも買いました。

やるかやらぬかは置いておいても気持ちは楽になりました。もう大丈夫。

駄目人間だとか社会不適合者とか思ってもまぁいっかと思えるようになった気がする。

その先がここにある。

最近毎日楽になりたいと思っているのでそろそろ本当に終わりにしたい…しんどい、楽になりてぇ〜

ここにそんなに価値ある気がしない…やりたいこともやったし…私を縛るものもないし、適当に生きていけないならもういいよってなるよな…楽になりたい、永眠したい。ほんとそれだけ。

就職先さえ決まればまた生きていけると思うんだけどね。

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このブログを書いてから2時間後

親に頼み込んで毎日毎日色々言ってもらうことにした。

これでまたまともに出来るかもしれない。毎日毎日、ね。縛られたくないのに縛られねばできない、やはり社会不適合者だな。

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そのあと少年たちと電話をした。凄く元気が出た。明るくキラキラした未来への希望溢れる少年たちと会話をして復活(?)した感じ。人と会話するのって大事だな。

会話が好きなのに会話出来てないから(全オンライン授業)鬱ってんのかもしれん。

頑張れる気がしてきた。

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思い返せば、高校も大学も自分で決めていない。ここが良いのではないか?と言われてそれに向かってやっただけである。

高校受験の時、志望校はなかった。憧れもなくただ良いと言われたところに行こうと思っていた。親と先生に「○○高校は勉強したら受かるから目指したら?」といわれ目指した。

大学受験の時も、志望はなかった。「○○大学受ける気ない?多分受かるよ?」と言われ準備をして受かった。

私は多分、生まれてからずっと自分の人生に興味がなくて適当に生きてきたんだと思う。受験というみんながぶつかる壁には、多少ぶつかったが、越えられる壁を越えてきただけなんだろう。

私の就職活動が難航しているのは、やりたいことも入りたい会社もないからなのだろう。いつも通りどうでも良いと思っている。

完全週休二日制なら正直どこでも良い。でもどこでも良いと思っている人間は入れないのである。

何か出来ることがある訳では無い。入りたい熱烈な理由がある訳でもない。そんな人間を欲しがる会社がどこにあるのか。

私は本当になんでも良くて、もしどこかに入ったらそこで頑張るんだろう。

アルバイト先で私がそれなり以上に頑張っているように会社に入ればそれなり以上に頑張ると思う。

その場所は正直どこでも良いのである。本音を言うならば給料も正直どうでも良い。休みさえあれば良い。

ギリギリまで家にいるつもりなのでお金はそんなに掛からないし、コンスタントにお金が掛る趣味は持っていない。ギャンブルも煙草も酒もせず、推しているアイドルがいる訳でもない。

貯金が好きなのでお金は貯まるだろうし。どうにか入れれば頑張れると思うんだよな。

過酷な労働環境だと無理かもしれないが…その時はその時である。訴えて金をもぎ取ってやるつもりでいっぱい。そういうことです。

週休二日なら給料が低くても平気だし客に怒鳴られても多分大丈夫なのである。

ここが良いよと言ってくれればそこに入るために多分頑張れる。ただ、ここが良いよの後、またここが良いよと言い続けてくれないと就活は続けられない。

私を生かす為には社会に溶け込ませなければならず、溶け込ませるための努力は本来自分がすべきことなのだが、自分はやる気がない。

そして社会に溶け込めなかった場合、永眠すれば良いやと思っているから結局、死なせたくないなら周りがやるしかない。

でもそんなめんどくさい存在になりたくない為、さっさと永眠しよって思っている。

その結果、完自マを買い、遺書を書き、ウキウキしているのである。

自分の将来への興味のなさが異常過ぎる。将来の夢が幼い頃からなかった。いついかなる時も過去に戻りたいとは思わない。

過去を変えたい人は現状に不満があるか、変えたい未来があるかだと思う。私にはそんな夢も希望もない。

変えたい過去はなく、ただ生きているだけ。

やはりこんな無感動な生活に意味を見いだせないと思う。

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思ったことをつらつら書く。

私が求めるのは慰めや励ましではなく叱責。でも自身を優しいと思っている人は励ましてくる。

励ましてくる人のことを私は優しいと思わないし、近くに置かないが稀にその人達に厳しいことを言ってくれと伝えてみることがある。

でも決して厳しいことは言ってこないので彼らは優しいと思われたいのだなと感じ人間は面白いなと思う。

私は共感を求めず理解を求めるが、共感と理解を同じだと捉える人が多いため共感してくる。それも私からするとあーぁ、と思う。

私は所謂お節介と呼ばれる人と相性が良い。それは私がこんなんだからだろう。

興味のあるもの以外がどうでも良いから適当になってしまう。私の生命維持にも興味が無いからこうなっている。

自然と生きていたいと思う人間は楽でいいなと思った。こんなにも生きるのがめんどくさいのにその面倒くささに目を瞑れるのが凄い。もしかしたら面倒臭いと思わないのかもしれないが。