あまがさの日記のようなもの

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竹取物語という型

今晩は。今日も月が綺麗ですね。こんな月が綺麗な夜は月にまつわる話を。

数千年前に作られ、今でも愛され続けている月にまつわる物語と言えば『竹取物語』一択でしょう。

「今は昔、竹取の翁といふものありけり」で始まるこの物語は、日本人ならば全員知っていると言っても過言ではないほど有名ですよね。

通称『かぐや姫』。幼い頃、寝る前によく話してもらっていました。

そんな『竹取物語』は物語として優秀なだけではなく、その後生まれた文学作品に大きな影響を与えました。

具体的な作品を一つ挙げるならば『源氏物語』。これもまた有名なお話ですね。主人公の光源氏を中心にした恋物語です。

今回のレポートでは『竹取物語』を物語としてではなく話型として捉えます。そして『源氏物語』を引用しながら、竹取物語という型について考察します。

興味のある方に刺さればいいなぁ。それではどうぞ。

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 竹取物語の型を使った作品は数多くある。その中でも源氏物語での用例を挙げ、竹取物語という型の魅力を考察する。

 まず、源氏物語正編、女三の宮を求める柏木をめぐって注目すべき表現について述べる。

 1つ目は、若菜下巻にて女三の宮に対し迫り「人より深き心ざしをむなしくなしはべりぬること」「いとことわりなれど(中略)あはれとだにのたまはせば、それをうけたまはりてまかでなむ」と述べている部分である。

これは女三の宮に「あはれ」を求めている場面であるが、竹取物語で求婚者や帝等、男たちはかぐや姫のあはれを得ようとした話と重なる。そして、自分は深き心ざしがあったが、それはむなしくなってしまったと訴える所も似通っている。竹取物語において、かぐや姫は男たちの志を理解し、その志を虚しくしてしまった申し訳なさも感じているがその点も女三の宮と重なる。

 2つ目は柏木巻で女三の宮に和歌を送る場面で「今はとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひのなほや残らむ あはれとだにのたまはせよ」と述べている部分である。

女三の宮への「絶えない思いが煙になる」という表現に加え、「あはれ」という言葉を用いている。

竹取物語の最後には「火をつけて燃やすべきよし、おほせたまふ。(中略)その 煙、いまだ雲のなかへ立ちのぼるとぞ、言ひ伝へたる。」という記述があり、これは柏木の煙という発言に重なる。

 3つ目は柏木巻で死後の柏木「あはれ、衛門 督 」と述べられている部分である。竹取物語で帝はかぐや姫の昇天後、手紙を見て「あはれ」と思っている。竹取物語は感動的なシーンで「あはれ」を使っており、竹取物語の型と言える。

 上記3つは女三の宮を求める柏木の表現であるが、竹取物語の男たちを踏まえた描写がされていることが分かる。又、柏木は女三の宮の「あはれ」を手に入れることは出来なかった。竹取物語に登場する男執着の無惨さを引き受けていると考えられる。

 

 次に、源氏物語続編での竹取物語の型について述べる。

 1つ目は総角巻にて、薫の目に映った死が迫る大君の場面での「影のやうに弱げなるものから」「惜しきことたぐひなし」という表現である。

死が迫り大君は「白き御衣」「白ううつくしげ」等、白いという表現が増え、現実味のない美しさがある。

竹取物語かぐや姫は「きと影になりぬ。はかなく口惜しとおぼして」と述べられているが、大君の「影」と重なる。薫も帝も「影」と表現される女性を「惜し」と思っている点も共通している。

 2つ目は総角巻、大君死後の薫の場面であるが、大君を想い詠んだ和歌である「おくれじと空ゆく月をしたふかなつひに住むべきこの世ならね」「恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にや跡を消なまし」この2つの和歌に注目したい。

竹取物語にて、かぐや姫から翁へ向けた手紙では「月の出でたらむ夜は、見おこせたまへ」と述べられている。そして、かぐや姫昇天後の帝の詠んだ歌では「逢ふこともなみだに浮かぶわが身には死なぬ薬も何にかはせむ」と述べられている。

薫の「おくれじと」の和歌は月をみて大君を想っている。帝の月を見てかぐや姫を想う描写と重なる。そして薫の和歌に用いられた「死ぬる薬」は、帝の和歌に用いられている「死なる薬」を踏まえた表現である。

 上記2つの例から、薫と帝の発言や考え方には多くの共通点が見られ、最終的に地上や現世に取り残された男達は似通っていると言える。

 

 最後に手習巻・夢浮橋巻の小野の浮舟について述べる。

 妹尼の心中として「いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふ」「かぐや姫を見つけたりけむ竹取の翁よりもめづらしき心地するに」と述べられているだけではなく、浮舟が詠んだ歌に「われかくて憂き世の中にめぐるとも誰かは知らむ月の都に」、出家後には「尼衣変はれる身にやありし世の形見に袖をかけてしのはむ」がある。

 妹尼の心中の表現では明確にかぐや姫と浮舟を重ねており、浮舟自身も「月の都」という語を用いている。特筆するべきは出家後に詠んだ和歌の「尼衣」という表現であるが、「天衣」を着て感情を失ったかぐや姫に対し、出家をし「尼衣」を着ても感情を消すことが出来なかった浮舟を対照的に描いている。

  天衣と尼衣は掛詞であり、竹取物語の引用であることは明らかではあるが、最終的に竹取物語とは違う結果に源氏物語をしている。

 

 竹取物語の型の魅力として、羽衣説話とはまた違う話の展開や、細かくロマンチックな心理描写があると思う。

 羽衣説話では「天女が羽衣を脱いで水浴びをしていると人間の男が羽衣を盗み隠して結婚を迫り、天女と男は結婚して子供を産むが、最終的に羽衣も探し出して天に帰る」という型が用いられるが、竹取物語は一般的な羽衣説話とは違い、仙女と男との出会いや別れだけではなく、親子の別れやかぐや姫の告白、結婚を拒否する為に試練を与えるなど物語に厚みと独創性が見られる。

 特に小野の浮舟では、竹取物語の展開と重なるところが多くあるが、少しずつ型から外れ源氏物語として完成しているところも、羽衣説話と竹取物語の関係性のようであるとも考えた。

又、 読者が小野の浮舟を読んだ際、竹取物語の引用であると分かり、今後の展開を予想するも裏切られるという、竹取物語の型が大衆に理解されているからこそわかる面白さがあるのではないかと思う。

 

 心理描写では女性の内面ではなく、男性の内面を細かく述べ、求婚している側の心理がよく分かる。特に「あはれ」という言葉や和歌の表現はロマンチックで読者に登場人物の思いをよく伝えているように思う。

 特に源氏物語でも用いられた、「絶えない想いが煙になる」という表現は、とても雅で深い愛情が表現されていると感じた。

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レポートと言えないレベルの文章ですね……感想文かな。ブログに貼るのに調度良いレベルのふわふわっぷり。

竹取物語』も『源氏物語』も未だにファンの多い作品なので、このレポートもどきを読んで気分を悪くされる方もいるかもしれません。

その際はご遠慮無く、ご指摘頂けたらと思います。コメントは誰でも打てるようにしていますのでお気軽にどうぞ!

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