あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

マッチングアプリを雅だと思う

突然だがマッチングアプリをご存知だろうか。それは出会いを求める人が使うアプリである。

因みに私は使ったことがない……が、否定的な目では見ていないので、マッチングアプリに否定的な考えを持つ人に向けて少しではあるが、私の考えを書きたいと思う。

否定的な意見を持つ人が考える、マッチングアプリの危険性について考える。

否定的な人は顔も名前も何もかも知らない相手とチャットのみで会うことを危ないと思っているのでは無いだろうか。

私も始めてマッチングアプリの存在を知った時、同じことを思った。危ないし怖い。

しかし、よく考えて欲しい。千年前の日本では和歌を送りあって愛情を深めていたのだ。

マッチングアプリ内のチャットツールを用いて言葉を交わし愛を深め会う!日本の伝統文化と言っても過言では無い気もしないでもない。

平安時代、お互いの顔を見れるのは一緒の布団に入った時だ。平安男子は垣間見という名の覗きをしながら顔は見えなくとも着物の裾を確認し、きっと好みの女性に違いない!と思って求愛していたのである。

そう考えると、現代のマッチングアプリは最高だ。言葉を交わしいい感じになって、ご飯に行ってお互いの顔や性格を確認し、合わないと思ったらやっぱなしで、とお別れできるのは素晴らしい事だと思うようになった。

マッチングアプリを使って恋愛を楽しんでいる友人に「出会いとはもっと運命的であるべきだ」「顔も知らない奴と付き合うなんて」等と批判を受けた時は「日本の伝統文化です、まさか平安貴族を侮辱しているんですか?」と言って黙らせてやれ!と伝えておいた。

マッチングアプリを使って楽しんでいる皆様が批判された時はぜひお使い下さい。

平安時代の場合、女性が家に籠っていたので相手の家柄がわかっていたじゃないか!というご意見もあるかもしれない。で、家柄が分かったら何になるのですか?

現代、恋愛をするにあたり家柄を見ているのですか?見ているような人はマッチングアプリを使いません!気にする人はお見合いをします。

平安時代、恋する相手がどんな顔でどんな声をしているかすらも分からないのだ。わかるのは和歌の出来と噂話と家柄だけ。

やれ黒髪が美しいだの、雅なお顔立ちだの、ウソばかり!ベットインして、え?!なにこれ?!という悲劇も多々あった事だろう。

そもそも和歌は本人が詠む必要は無いので、返歌の素晴らしさに惚れたと思っても、実は別人!ゴーストライター!残念!悲しいですね。

そう思った時、私はマッチングアプリは出会いのない現代社会に蘇った平安文化だと思ったのだ。雅だとすら思った。

確かに危ない面はある。だから年齢制限は必要だし、インターネットリテラシーのない人に使わせるのは問題がある。

でも否定的な目で見るようなものでは無いなと思った。

いやいや、今は現代だし、平安時代がなんだよ、と思う人もいるかもしれないし、平安貴族?クソ喰らえと思う人もいるかもしれない。

ただ、私の中ではしっくり来たのだ、なるほど、そういうことか!と。

コロナ禍でマスクをつけている事も相まって、まるで扇子で顔を隠す平安貴族のようではないか!と。

否定的な人がいるのは全く問題ないし、当然だと思うが、出会いのない現代でも恋愛をしようとする人々を愛おしいと思う切っ掛けになったらなと思い書きました。

私は肯定派です!恋愛を楽しむ人々がもっと自由になりますように!