あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

上代文学〜平安文学における女の表現

上代文学〜平安文学における女の表現の備忘録です。お好きな方だけに刺さるかもしれません。

ただのメモなので後日まとめるかもしれませんし、まとめないかもしれません。

以前書いた「竹取物語という型」のレポートはこの辺の知識も混ぜて書いています。

気になる方はそちらを読んだ方が楽しめると思います。ご理解頂けた方のみお読み下さい。

テーマ「女を盗む話」

古事記

ナムヂはスサノヲからの嫌がらせを受けながらも耐えてスセリビメを連れて逃走。

女を盗むことが王になる力の証明になっている。


伊勢物語

鬼の物語だが実際、伊勢物語は政治的に危険な話。


古事記伊勢物語は共通して女を盗む話である。

女を盗むことを通して、力のない若者が権力のある大権を持つ人に反抗する様子を描き、ロマン溢れる男の話になっている。


大和物語

美しい娘が誘拐される。(誘拐されてから鏡を持たせてもらえていない)

久しぶりに顔を見たら自分の容姿がみすぼらしくなっていてショックを受け、自殺。その自殺を見た誘拐犯もショックを受けて死ぬ。


女は男を思っていたと言っているが、実際どうかは分からない。誘拐犯を好きだと思い込むことで精神を保っていた可能性がある。

女はアイデンティティが崩壊したかのように自死。ロマンはない。


更級日記

男がホームシック(武蔵国)になる。それを聞いたお姫様が男を誘って一緒に逃走。追ってきた使者に姫様が反抗し親は諦めて男に武蔵国を任せることにした。


ハッピーエンド。女が主体的で東国(武蔵国)を魅力的に描いている。

反権力的なロマンはないが幸せな終わり方をするのが素敵。

 

テーマ「2人の妻」①


①2人の女と出会う、結婚するパターン

②既に結婚している男がもう1人の別の女を妻としてしまうパターン

今回は①のパターンを学ぶ。


伊勢物語 初段

田舎に似つかわしくない美しい姉妹がいて男性はびっくりした。惚れたので服を破いて歌を送った。「いちはやきみやび」

→ひたむきで優雅な恋の世界が描かれている。情熱的で美しいロマンス。


旅先で男と二人の女が出会う というパターンは中国唐代の小説『遊仙窟』の影響があると思われる。

 

源氏物語 若紫巻

光源氏が尼君と若紫と出会う(垣間見る)


二人の女と出会うというシチュエーションは同じだが、源氏物語伊勢物語との違いがある。

健康的な若い貴公子⇔病んだ若い貴公子

京都の南⇔京都の北

優美な姉妹⇔老いた尼と幼い少女

源氏物語「若紫」は伊勢物語の「若紫の刷り衣」

から来ている。源氏物語伊勢物語のパロディ。


源氏物語 橋姫巻

薫(光源氏の血の繋がらない子)が宇治の姉妹(八の宮の娘)と出会う(垣間見る)

お淑やかな姉、ハキハキしている妹楽しくしている姿を見ていて親しみ、興味を抱いた。

 


若紫のようにパロディにはなっていない。

また、静謐で美しい情景だが、明るくない苦しい恋になる。(バッドエンド)

 


→若い男が二人の女と出会う話は人間関係の複雑さを表現するために利用されることがある。


古事記 中巻 垂仁記

女が二人の男に出会うパターン

兄と夫どっちが大事かを兄が妹に聞く→妹は兄が大事だという→兄は妹に夫を殺せと言う→妹は夫を殺せず泣き、夫にそれがバレてしまう→戦争→妹(妻)は兄の方に行ったので夫は攻められなくなる→最終的に子供は夫側に渡されたが、妹(妻)は兄側に残る。

 

テーマ「二人の妻」②

伊勢物語』第23段

田舎の幼なじみ同士が相思相愛で夫婦になりたいと思っていて結婚。

妹=(親しく思う女の人に対して)貴女

結婚後女側の親が死んでしまい生活に困ることになる。

生活の為に男は新しい女の人を作ったが妻は嫌がらなかった。妻が嫌がらない事を男は不審に思い浮気したのではないかと疑い監視(最低)

妻「風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ」

男は妻のこと好きだなと思い、女ところに行かなくなった。


男女関係を描く歌徳説話の典型。二人の女が対照的に描かれていて「みやび」か否かが重要。

樋口一葉の『たけくらべ』の典拠の一つ。

『大和物語』第149段はこの話を踏襲している。


『大和物語』第149段

伊勢物語と比べて説明が多い。「愛していると思いながら女を作る」「今の妻はお金持ち」「対して新しい女の人を愛していない」「男は妻が嫉妬しないのを不思議に思う」「妻は嫉妬してたけど我慢していた」等、心の中を説明している。その為にオチがわかってしまう。

伊勢物語は1人で歌を歌っている。

大和物語は1人で歌を歌うとは思えないから誰かいたんだろうなぁという考察が入る。

おもひ=おも火→嫉妬の炎がお湯を沸かした

男は妻に駆け寄り、新しい女のところに行かなくなった。

実は男は皇族の血が入っている人だった。←田舎者ではなくなった。業平として話している。


ストーリーは伊勢物語23段と同じだが、説明が多く合理的。

(個人的な感想)伊勢物語の方が好みだが、勉強をするならば大和物語の方がわかりやすいのかなと思った。


大和物語 第157段

妻に飽きた男が家の物を新しい妻のところに全部持っていった。

妻「ふねも往ぬ まかぢも見えじ 今日よりは 憂き世の中を いかでわたらん」

男は物を返して一緒に住むようになった。


家財を一切合切運び出すところが読みどころ。愛情の移ろいが反映。

男がものを共有する、預ける存在が妻だったことがわかる。


・はいずみ 堤中納言物語

身分が高い人が身分の低い人を愛していたが、新しい女(金持ち)のところに通うようになりその後同居し始めた。

牛を用意しない男!馬に乗れとか言ってくる!

妻「いづこにか 送りはせしと 人間はば心は行かぬ 涙川まで」

男が迎えに来て、妻を連れて帰る。新しい女には言い訳をして妻と暮らすようになる。


親が目立っている、妻が家を追い出される、馬に乗って出ていく、最後のドタバタ。

読者が理解しているからこそ話型を意識して書いている。

(個人的な感想)男が最低すぎてわろし。どちらの妻も雑に扱い過ぎていている。むげなり!

 

テーマ 複数の求婚者(女性1人に男性2人又は複数)


万葉集 第十六巻

二人の男が一人の女を取り合った末、女が気に病み自殺。女の倫理観が儒教道徳的。

男達は女が死んだことを悲しむ歌を歌う。

さくらこ自殺。かずらこも入水自殺。


複数の男から求婚される女が自死を選ぶという型。

男性が作った話であり女性をロマンティックに描かれている。男性の理想を表しているが、女性の内面がはっきりと描かれる所にさくらこ、かつらこの特徴がある。

万葉集に他にも二人の男から求婚される女の話がある。

 

竹取物語

沢山の男から求婚されるが、かぐや姫は無理難題を押し付ける。いくら説得されようがかぐや姫は結婚する気がない。

翁「子供を産め、結婚しろ、俺が死んだらどう生きられなくなる、男たちと結婚しなさい。」

姫「深い愛情がないと嫌だ。浮気されたら無理だし嫌だ、愛情確認して出来たら結婚する。(なお無理難題な模様)」


竹取物語は女の内面ではなくて男たちの内面を見つめている。求婚している男の心を問うという要素を入れることで万葉集とは違う物語が生まれている。

キーワードは「こころざし」


(個人的な感想)現代の価値観を持っている私からすると翁とは分かり合えない。かぐや姫がここまでしないと断れないのは気の毒だと思う。


・大和物語 第百四十七段

男二人から求婚される女。男がずっと門の前に立って待っている。男も女もこのままだと良くないから親は女にどちらかと結婚しろと言う。

男同士で競ってもらい結婚相手を決めることにしたが決着が付かない。

女は辛くなって入水自殺。男達も心中。

死後も親達がお墓の場所で揉める。蛙の子は蛙。男達は墓に入っても女の取り合いで揉めている。


「こころざしまさらにこそあはめ」「一人一人にあひなば、いま一人が思ひは絶えなん」は竹取物語の影響だと考えられる。

血や刀が出てくる事がかなり衝撃的。

話の型が変形した。


(個人的な感想)迷惑すぎる男に好かれて本当に気の毒。女がはっきりしないのも酷い、自我がない。心中してよかったと思う。

ハーレムはハッピーエンドになるのに、逆ハーレムはバッドエンドになるのは当時は当たり前なのかもしれないけれど悲しい。


源氏物語 浮舟巻 続篇

入水を企てる浮舟「私なんて居なくなってしまえば良いんだ!親もたくさん子供がいるからしばらくは悲しむけれどすぐ私のことを忘れるだろう。」←大和物語の影響を感じる。

東国の悲話:身分に関係なく三角関係は起き、時には殺人事件も起きることがある。実際に三角関係になった時に女に責任があると言われ家を追い出された人がいる。

最終的に浮舟は悩んだ末に入水自殺。


「身を投ぐるためし」は大和物語生田川伝説と見て良い。

浮舟の死後、男たちには熱意がない。浮舟という存在の軽さが表現されており、大和物語のと違いがある。

初期は儒教的な女性の貞操を描いていたが「源氏物語」では苦悩の抽出や存在の軽さを暴き出すことへ寄与している。