あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

深夜の対話

今晩は。日記のようなものです。

読む必要はありませんし、読んでいてもつまらないと思うので飛ばして下さい。自分の意思を確認するために書きます。

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「深夜の対話」

父と2時間ほど語り合っていたのだが、成程、見えてるものも違うけど理解はできる。

同じものを見ても行き着く答えは違う。しかし理解はできる、そして意見が違うことへの理解もある。父のような人間と結婚だけはするまいと思っていたが、友人にするならば良い関係が築けるのでは無いかと思った。一人の人間として議論ができるのは良い事だよね。

ただ私が父の娘でなければ、対等に意見を言うことは出来ない相手だということも理解しているので、娘という前提があって個人として見られたのだろうなと。娘であるという事実を完全に切り離して対話や議論が成り立つようになりたいがそれは難しいだろうな。

女性が働くことについて話をしていたが、雇う側の話を聞けば確かに女性を取るのがリスクを負うということなのも分かってしまい、会社側の言い分も理解出来てしまう。ただ働きたい女性として私は生物の構造上、幾つかは仕方ない事であり人間の絶滅を望まないのだから(会社では無く)社会と人の在り方に問題があると思う。又、会社側が設けた制度を悪用する女性が居ることで会社が女性を受け入れにくくしているという意見には同意せざるを得ないが、制度を利用する比率が女性の方が圧倒的に高いのだから、悪用する女性の比率が高くなるのは当たり前。男性の利用率を高めれば結果は同じだけになるのではないか?と。

父は間違いなくマジョリティで、私はマイノリティで、本来なら衝突するはずなのだけどマジョリティである父の「娘」だから会話が成立してるのよね。それが悲しくもあり悔しくもあり…残念ながら受け入れなければならない現実なんだよな。

マイノリティであるにも関わらずマジョリティと対話や議論ができる私が、「マイノリティは虐げて良い存在ではないぞ」と強く意志を持ち続けることでなにか変わるかもしれないよね。一生付き合ってく問題なのだから折れないよ。

共感はしなくていいのよね、理解さえされれば。私はそちらの考えを理解できるし、そちらも私の考えを理解出来れば多少考慮できるでしょ。考慮することが当たり前になれば良い。それが負担になるのも分からなくもないがその負担は元々背負うべきだったものだし、当たり前に背負ってくれ。

「〜という職にはつかない方がいい」と言ったのを見て問題意識はあるのだと認識できてよかった。それは私が娘だったからなのかもしれないけれど、私が女に生まれたことでそれを問題だと思えるようになったのなら、女に生まれて正解だったのかもしれないね。

私が加害者に向ける憎悪を私の親として多少は理解出来るはずなのよ。当事者意識がないと問題だと思えないのは問題だけど、少しでも関わりがあると思えるのなら良いよね。そんなん関係なく問題だと思って欲しいけど、それが難しいなら理解されるよう務めるしかない。諦めてるように見えるかもしれないが諦めてないよ。

まぁでもカミングアウトはまだまだ先だな。
色々と諦めてもらわねばならないのだから時間をかけないとね、申し訳ないが今切り捨てられる訳にはいかないのよね。「対話も議論もできる奴が「たまたま」マイノリティだった。」ってならなきゃ行けないのよ。「マイノリティだから〜。」ってなってはいけない。

今カミングアウト出来ないのもそうだし、私が就職先を本気で選ばねばならないのもそうなのだけど、理由はたった一つ、一人で生きていく気だから。

パートナーを見つける?そんな都合のいい相手がいるかな?恋愛結婚が出来ないんだよ?100人に1人とは言うけれど、その一人が私の周りに現れて私と波長が合い、パートナーとして共に生きましょうってなるかな?

私が一人で生きて行くためには、私を支えられるだけの稼ぎを得なければならない。体力無くて病弱でいつ倒れるかも分からないし薬も飲めなくて、いざと言う時に使えるお金が無かったら何も無いまま死んでしまうわ。周りに迷惑を掛けたくないしひっそり静かに生きる気だけどお金がなかったら出来ないよね。

(お互い自由に生きるけどいざと言う時は支え合えるようなパートナーが出来たらそれ以上のことは無いのだけどね。)

諦めなきゃならないこともあるけど、諦めなくていいことは諦める気ないの。私は幸せになる。

恋愛至上主義の世の中で生きにくさを感じることはあれど、私は私を肯定しているし誰に否定されようとも私は存在していい人間なのだと常に思い続けている。社会に否定されているのに、肯定する人が居なかったら潰れてしまうよ。

私は自分の価値基準を相手に委ねることは余りにも恐ろしくて出来ないが、他者評価に自分を委ねる人もいる。それは貴方が多数派で肯定されているからなんだよと思ってしまって反省。人には人の生き方があるよね。私は誰も否定しない。

少し話が逸れるけど。

今世界中で黒人差別の問題が取り上げられているが、虐げられているのは黒人だけではない。アジア人だってセクシャルマイノリティだって、みんなそう。

でも黒人差別を減らそうと努力する人は他の差別も同じく無くそうとするだろうから…今はとりあえず黒人差別に反対の意志を表しておきたい。

日本人は(と言うと主語が大きすぎるかもしれないんだけど…)当事者意識が足りていないのではないかと思う。日本で生活しているとアジア人は肌の色という面では当たり前に多数派なんだよね。でもそれは差別の対象にならないということではない。

1回海外旅行すれば嫌でもわかるんだけどな。肌の色というか人種のせいで嫌な思いはするよ。日本人は「有色人種」で「黄色人種」だってことを、認識しないで生きてこれたことを幸せに思えばいいと思う。この国の中で多数派でも場所を変えれば少数派だってことを知らない人が多いのではないだろうか。

白人さんや黒人さんと並んでみればいいのよ、全然肌の色違うよ、骨格も何もかも。でもそれは違いであって差別する理由にはならないはずなんだよ。白人さんの友達が居るし、私の事を差別したりしないけれど、それは彼に良識があり善良なだけ。

そして名誉白人という言葉を誇らしげに使う日本人がいることに衝撃を受けた。とても恥ずかしい。恥ずかしくて悔しくて仕方がない。その発言が自分達を貶めるものだとなぜ気づかないのか。自分たちが「白人寄り」だと誤認してるなら1回くらいお外に出かけてみたらどうですかね。全くそんなことないからね。そもそも白人寄りだからなんなのだろうか?立場が強いとでも言いたいの?恥を知れ。

(「日本人は名誉白人だから大丈夫」って何も大丈夫じゃないよ。それを言う人、外に出たことないでしょ。ん〜まぁ外に出たことなくても分かる人は多いだろうし…単純に想像力が足りないだけなのかもしれないけど。じゃあ貴方はイギリス人とアメリカ人とオーストラリア人とカナダ人とドイツ人とオーストリア人とハンガリー人を見分けられるんですか?ってことなんだよな。お外で歩いていれば「Chinese?Korean?Japanese?」って聞かれるよ。見分けなんてつくわけない。よく捉えればアジア人、悪く捉えれば黄色い奴らって括りだよ。まぁ、仮に見分けられたとしても名誉白人という言葉が悪いことに変わりはないんだけど。)

本当に恥ずかしい、未だにそんなことを言っている人達は、自らの揺るがぬはずの属性を他に委ねていることに、それで評価を得ていることに気づいていないの?自らは差別されないからいいやという思考の放棄、無意識で差別を肯定してるじゃん。なぜ気付かない。

こんなんじゃ…差別は無くならないよと絶望した。諦めないけど。

多数派少数派関係なく一人の人間として尊重される社会になって欲しいなぁと思いながら色々書きました。上手く纏まってないけど…このぐちゃぐちゃ具合も今の気持ちがよく現れていて良いね(適当)

差別のない平和な世界を願って、おやすみなさい。