あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

「若者」の1人として選挙について語る

一応、若者として選挙について語る。

私は選挙権を18歳で得てから一度も欠かすことなく投票に行っている。

私の中で投票に行くことは、権利であり、責務であり、意思表示の方法だから、必ず選挙に行くし投票する。

意味があると信じているから行き続けるし、周りが行かなくても関係ない。

投票は法的に義務ではないが、選挙権を得たのだから、まだ選挙権を持たない若者の為にも投票に行く。
それが権利を持つものの務めでは?と思っている。

私はまだ社会に出てすら居ない子供で考えも浅いのだろうが、それでも未来を思って投票に行き続けることは良い事だと信じているし、そう思いたい。

私はこの国を愛しているし、ここに骨を埋める気だけれど良い所も悪い所もあるでしょう。

気に入らないならば出ていけば良い、というのは暴論だと思う。悪い所があるならば直せば良い、住み良い国になるのは悪いことじゃない。良い所は残せば良い。

綺麗事だと思われるだろうが、綺麗事を言えない、理想を抱けない社会じゃだめだと思う。私はこの先を生きる若者、将来の大人にとって希望を抱ける社会にしたいと思う。

この若者とは私達ではなく、まだ「諦めていない世代」のことを指している。

私たちを取り巻く「諦めの感情」が政治への関心を奪っているようにも思う。少しでも政治や国に対して関心を持てる環境や社会になればとも思う。

周りの様子を伺うに、関心がないのは「投票しても変わらない」「どうせ良くならない」と思っているからだと感じて根深いなと思う。
未来に対して明るい印象を抱いたことがないという事実…夢や希望も中々ない状態。

私は小学校の低学年まで「ゆとり」と呼ばれていたし、残念なことに年金は貰えないだろうとずっと言われ、将来は安定した職につかないと不味いだろうと言われてきた。
そして親世代の言う当たり前の幸せの実現が不可能に近くなってしまっていることも原因だと思う。

マイホームに夫婦と子供2人の四人で住み、自家用車を持ち、たまに家族で旅行をする。

私たちは親世代の言う当たり前の幸せを夢見ることが出来なかった。価値観が違うのは当たり前だろう。

私が見た限りでは「どうせ手に入らないなら欲しいと思わない方がマシ」という考えをもつ人が多い印象で、凄くよく共感できる考え方である。

だが不満があっても改善する意欲がなければ政治への関心は向かないだろう。

世代によって世界への認知が結構違うという事実。頭ではわかっていても、しっかりと理解出来ていない人が多いように思う。

私達の中に、いくらやってもダメなものはダメって考えが当たり前にある事実が多分伝わりにくい。

個人がそう思うのではなくて当たり前にそう思っている人が周りに沢山いる。(勿論そう思わない人もいる)

手に入るだけの幸せを求めれば辛い思いをしなくて済む、という考え方をするのが「賢い生き方」とされている可能性を考えて貰えると、世代間の価値観のギャップは埋められるのかなと思う。

私達も歩み寄らねば。割合を考えれば私たちの方が少ないので容認されるかはわからんが。

熱血、とか根性、とか頑張ればどうにかなる。という考えができない理由を考えた時、思いつくのは「成功体験がない」ということだった。

景気が良い時代を生きた経験がない、と聞いてどう思うかだと思う。

小学校3年生でリーマンショック

小学校5年生で大震災。

不況、少しの回復、震災、復興、震災、復興…そして疫病。

今の大学生の両親はバブル世代、就職氷河期世代ですが…多分伝わらない。
生きた時代が違うから価値観も違って当然なのだが、親世代の人口はとても多く、正しいのは数の多い方になる。

少し逸れているが私は価値観の違いについて、あれが良い、これが悪いと言いたい訳では無い。

世代間にある認識の違いが、世の中への関心の違いにも現れるんだと思うってことが言いたい。

オリンピックの東京誘致が決まった際に「もしかしたら景気が良くなって就活楽かもよ」と言われたことを思い出す。

それと同時に、半年掛けて掴み取った内定をコロナウイルスでの経営悪化を理由に取り消された先輩を思って胸が痛む。

私達に足りないのは成功体験では、と思わざるを得ないのだ。

景気の良い時代を生きさせてくれよ。未来に希望を持たせてくれよ。何も考えなくともこれからきっと良くなると思わせてくれよ。

私には何ができるだろうか。

諦めてしまった若者に、若者としてできることはないだろうか。

私は諦めることを悪いとは思わない。自己防衛の一種だと思っているから、諦めることを責め立てるのは違うと思う。

諦めてしまうような環境を変えれば、既に諦めてしまった人は無理でも、まだ未来に希望を抱く可能性がある、私たちよりもっとずっと若い世代が「やってやろうじゃん」って思えるようになるのではないか?

ならないかもしれないけれど、なる可能性に夢を見て、私たちが今からやらねば変わらないと思う。

言いたいことは分かる。我々の一票は軽い。

いくら入れても伝わらない、私が入れてもどうにもならない、そうだろうよ、事実だよ。

でも、だからといって諦める理由にはならないと、そう思えるような状態を作らねばならない。

私は偶然諦めなかったからこうなったが、私が諦めていた可能性だってある。

若者の政治への関心は勝手になくなったのではない。

今の若者の様子を嘆く、皆々様が奪ったのだと少しでいいから考えて見て欲しい。

国が人の集まりである限り、政治や国のあり方というのは人が作るものだろう。

我々の夢や希望を奪った自覚はお在りだろうか?

周りのせいにするのもいい加減にしろとここまで読んだ皆さんは思ったかもしれない。じゃあ、なぜこうなった?

私たちが勝手に諦めたと思う?時代のせい?違うだろう。

我々から「競争」を奪った「ゆとり教育」をさせたのは、当時の有権者だ。違うか?

大人の都合で勝手にゆとり教育を受けさせられ、ゆとりと馬鹿にされ、やっぱりなしとゆとり教育を辞めさせられ、根性論で溢れかえる教育者たちに揉まれてここまで来たんだ。

なぜ我々がさとり世代と呼ばれているかわかるか?なぜ馬鹿にされて怒らないのかわかるか?

怒って何にもならないと諦めているからだろう。この根深い諦観は幼い頃から積み重ねてきた失敗と叱責と未来に対する絶望、社会への失望が産んだものでは無いのか。

私がここまで言うのは誰も声を上げないからだよ。誰ももう何も思わなくなっている。

我々の声を奪ったのは誰だ、それを1度考えて見てほしい。

私はそうなりたくないんだ。私よりもっと若い世代のためになることをする、と決めて18歳から投票に行き続けている。

若者の投票率を上げる。若者の為を思ってくれる政治家を応援する。

これは高齢者や我々よりも上の世代を蔑ろにしている訳では無い。「弱者」から搾取するのを辞めてくれ、と言っている。

頼む、どうか、同世代の皆さん。自分と未来の大人の為に投票に行ってくれ。意味が無いように見えて意味があるから、信じる元気も無いかもしれないけど紙に名前を書いて箱に入れるだけでいいから頼む。

とうの昔に有権者になっている皆さん。このブログを読んでイライラしました?生意気言ってごめんなさい。ですが、この国が今だけではなく未来も住み良くあるためにお力添えを頂きたい。

このブログに意味があるかないかはわからないけれど、もしかするとこれを読んだ誰かひとりが投票に行くかもしれない。

友人が投票に行くのを見て、自分も行ってみようかなと思う人がいるかもしれない。

バタフライエフェクトという言葉もある。何か、少しで良いから変わりますように。

願いと思いを込めて書きました。

随分と長くなりましたが、お読み頂きありがとうございました。

(⚠️実の所私は、ゆとり世代ではなくZ世代らしいのですが…ゆとり、さとりと言われたことしかないのでそう書かせて頂きました。ご理解頂きますようお願い致します。)