あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

懐古厨()の戯言

早く寝ようと思ったけど本当に寂しいのでこれだけ書いて寝る。

懐古厨の独り言なので(懐古厨の皆さん以外は)読むのお勧めしません。

同志の皆、ゆっくりしていってね!!!(AA略

私は時代についていけてない。これがほんとに辛い。

好きな物が変わらない性質を自分は持っていて、同じものがずっとずっとずっと好きで飽きることがない。

趣味もそうだし、食べ物や飲み物、好きな漫画やアニメもそう。1度ハマったことは一生好き。私はこの性格、性質を自覚していて、良い点も悪い点も理解している。

歳を重ねるにつれて自分の好きなものが廃れて来てしまった。

同じものがずっと流行り続けることは難しく、当たり前に廃れて、好きな人が周りに居なくなってしまう。

その状態でもずっと好きで居続けるからいつも自分は一人で何かを好きで居続けている。

その状態にも慣れているが、ふと、自分の中で当たり前のことが通じない事実に気付かされ、あまりにもあまりにもあまりにも寂しいと感じてしまった。

私は懐古厨である。全盛期を思い出してはあの頃は楽しかったなと思う。

一緒に楽しんでいた同志はどこに行ってしまったのか。ただただ寂しいと思い、動画を開き寂しさに浸る。

あの頃に一緒に楽しんでいた名も知らぬ同志達はまた別のものにハマっていてそれに熱を上げているのだろう。

自分は新しい沼に移動せずにずっとそこにいる。少しづつ減り、誰も残らず、たまに帰ってくる人がいても「懐かしいね」で終わる。

(私は推しジャンルに浸かって十年以上の気持ち悪いオタクになってしまった。先日アニメの7期が終わったのだが久々に活気を感じることが出来た。ジャンルに人が増えると嬉しい。頼むからここに居続けてくれ。いい沼だよ。)

そして時間が経つにつれ、自分たちの中で当たり前にあった共通認識を持たない世代が出てきた。

それらに触れていないのだから当たり前だが、共通認識を持っていない人間がテリトリーにいることに対しての違和感。

人が増えるのは大歓迎である。勿論喜ばしい。推し方はそれぞれ。私は多様性を認められる人間で在りたいと思っているから両手を広げて喜ぶのだが、心のどこかで寂しいと思ってしまうのだ。

例えばオタクなら「ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)」と言われれば両手を頭に当てて腰を振ると私は思っていたがそんなことは無いのだ。

一万年と二千年前から愛しているし、想いは優しいと来れば間違いなくきしめんだし、あんこ入りと言われればパスタライスだと当たり前に思うがそうでは無いのだ。

その時代は終わったし、そんなこと今言うやつはいない。

自分の中の「オタク」が今の時代にあった「オタク」とは違うのである。

ネットスラングが伝わらなくとも、定型文が伝わらなくとも、ぬるぽに反応しなくともオタクなのである。

初心者はまずROMってろは暴言なのだろう。

私の価値観は古い。情けないことに時代に適合出来ていない。

私は「オタクならばジャンルに対しての造形が深く、誰よりも知識を身につけ、ジャンルに金を落とし貢献する存在であるべし」と思ってしまっている。

押し付ける気はサラサラないが自分の中のオタク象は決まっていて、そうではない人にオタクを名乗られた時に仲間意識を感じないのである。

私は間違いなくオタクであるが、オタクを名乗る隣人をオタクだと思えないことがある。

でも間違いなく隣人は隣人自身をオタクだと思っており、今の価値観で隣人はオタクなのである。

多分、オタクが迫害されない現代だからこそオタクという言葉が称号のような扱いになっているんだろう。ひとつの事にハマれる人、のような意味があると思われる。

そもそも、オタクを仲間認定する必要すら無くなっているのだと思う。

オタクの定義が緩まり、オタクが溢れかえった今、目に見えるだけでも周りにいるオタクの数が増えた。だからこそ少なかったオタクがオタクを見て仲間意識を感じるような時代ではなくなった。

オタクとしての一体感は必要なくなったのであろう。

(タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!ダイバー!バイバー!ジャージャー!)

私は生まれてから一度も(オタクだということを隠したことは無いが)オタクを理由に迫害されなかった。それは私より前の世代では有り得ない事かもしれない。

今はオタクであることがステータスになっているのかもしれない。それも私の頃は有り得ないことだった。

価値観は変わる。それについていけなければと思う。着いていく努力をしなくなった時から老化が進み、違う価値観を認められなくなった時、私たちが嫌っている(た)「老害」になってしまうんだろう。

新しい価値観を受け入れよう、私の持つ価値観はもう時代遅れだ。

ただ、純粋に思う。もう一度あの頃の結束感を味わいたいと。懐かしむのは悪いことではなかろう。

(虎! 火!人造! 繊維!海女! 振動!化繊!)

私の周りにオタクは全くいなかった。皆、アイドルや恋愛に興味のある子ばかりでゲームをする子も深夜アニメを見る子もほぼ居なかった。

ニコニコ動画を見たり深夜のハーレムアニメを見てグフグフするような友人はいなかったが、画面の向こう側にいる同好の士に仲間意識を抱き、夜な夜なインターネットを楽しんでいた。

ネットの知り合いは皆同じ価値観を有していたし当たり前に気持ち悪かったのである。

あの気持ち悪い空間が堪らなく好きだったのだが、もうそんなところは無いのだろうか。

キャラクターが背景に映ったメール、詳しくは言わないが、あの気持ち悪さ、否定する意図はない、ないのだが、あの気持ち悪さが堪らなく好きなんだ(暗黒微笑)

5ちゃんねるになら絶滅危惧種もいるだろうが勢いは減った。今北産業など打ってみろ、化石扱いされるのではないか?ただ寂しい。本当に寂しい。もうだめぽ

こんな感じの話し方の気持ち悪い陰キャオタクも減った。厨二病感満載のだ、である調で話す奴。香ばしくて大好きだったのに…バカにされるってバレちゃったからかな。

(今で言う「なろう系主人公」の妄想に取りつかれた人がすごくつまらないブログや書き込みをしていました)

インターネットはみんなの物になった。ネットゲームをしていてもオタク以外がいる。

ただ始めて見た、お喋りしたくて始めた、よくわかんないしゲームしたことないけどスマホゲーだけやってみたとか。

ネトゲやるやつはオタク、みたいな認識はもう古い。ガッしてくれる人は居ない。niceboat.は通じない。

謎の期待をして振ったら痛いヤツになってしまう。気をつけねばならん。

あの気持ち悪い空間はここではもう作れないし体験できない。時間の流れは辛い。

ネット上に居るやつはほぼ同志みたいな、そんなことはない。ないけどどうしてもそう思いたくなってしまう。

だってインターネットだよ(?)秘密を共有した仲みたいな、閉鎖的なインターネットを求めて彷徨い歩く亡霊。

時間はいつの間にか過ぎているから生活しているだけだとわからないのだが、ふと思い立った瞬間に猛烈な寂しさに襲われて今こんな感じになっている。

ルカルカ★ナイトフィーバーを聴きながら、もう兄貴に釣られることは無くなったよなって。ブヒるオタクは消えたよねって。m9する奴も居なくなったよねって。gkbrもwktkも使わない希ガス

これが老い…さみしいね(KONAMI

これを読んだ懐古厨の心が安らぐといいなと思う。楽しかった頃を思い出すのは悪くない。

ただ今を否定するのは良くないゾ。ついていけなくとも、ついていく努力をせねばなと自分を戒めような。

(チャペ!アペ!カラ!キナ!ララ!トゥスケ!ミョーホントゥスケ!)

これを読んで意味わからんと思う未来の懐古厨は、今ハマってるものが10年後当たり前に廃れてるから…その時にこの気持ちがわかるやろ。

…………イデア・シュラウドが好きになる理由はここにあるのかもしれんな。

ここまで書いて思ったけど、今の流行を貶すき一切ないし、懐古厨では無いや。懐古趣味だった。懐古厨ニキネキに失礼だったわ。

とりま今回はここまで。調子に乗ってwwwサーセンしたwww

ノシ