あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

悲しい時代に

この悲しい時代に私なりの方法で意思表示をしたい。

何か描こうかと思ったが、今の我々に必要なのは歴史から学ぶことでは?と思い至り、千数百年前の詩を引用することにした。現状を嘆く誰かに届くことを願って。

 

杜甫「倦夜」

竹涼侵臥内 野月満庭隅

重露成涓滴 稀星乍有無

暗飛蛍自照 水宿鳥相呼

万事干戈裏 空悲清夜徂

 

竹林の冷気が寝室に入り
野月の光は庭に満ちる

竹の葉に露が重なり流れ落ち
月空にまばらに浮かぶ星屑が見え隠れしている

暗闇を飛ぶ蛍はその身の回りだけを照らし
川に宿る鳥は呼び交わす

全ては戦争という不幸な状態にある

何も出来ず私は ただ清らかに夜が更けていくのを 空しく悲しんでいる

 

(訳は私です。正しい訳が知りたい方は御自身で調べて下さいね。)

 

戦争が穏やかな日常を壊している事実を悲しく思います。

美しい小麦畑が軍靴に踏まれ、帰る家は無くなった。

行きたくもない戦地に向かう人や愛おしい人を戦地に送り出す人の苦しみを想うと、締め付けられるように心臓が痛む。

この辛く虚しい時代の中でもこの詩は私の心を震わせた。

戦禍で苦しむ全てに対して同情し、歴史から学ばぬ人類を嫌悪させた。

言葉には信じられないほどの力がある。ならばこそ扱いには気をつけなければならない。

この辛い社会情勢に対する私の考えを発信しようとして、やはりやめておこうと思い、でも何かしなければ、ここで意思表示をしない人間になりたくないと思ったのでこの詩を引用することに決めました。

嫌ですね。

こんなにも欲にまみれて、醜いとは思わないのか。

でも欲が無ければ私を含め何もかもが存在しないのだと思うと、美しくも思えます。

人間は複雑で難しく悲しく美しいものだなと詩を読みながら思うんです。

ひとつの言葉で命を散らす人がいる事が悲しい。

ひとりの言葉で帰る家を失う人がいる事が虚しい。

ひとつの国の言葉で世界が怯えなければならないことに、近代化に伴い人類が得てしまった力に対する絶望を感じる。

化学の発展は世界を豊かにしたのでしょう。でもそれらを扱えるだけの人間性が私たちには育たなかった。

それが悲しくて虚しくて情けないと思うんです。

人間とはかくも愚かで学ばない生き物なのだなと歴史を見て思うのに、その歴史を学んでも繰り返す精神を嫌悪するのです。

理性があるはずなのに欲に負けてしまう愚かしい精神を恥ずかしいと思うのです。

その性質を自分の中にも見て吐き気を催す。

どうしたら良いのだろう。私に出来ることは?

嗚呼、一日も早い平和を、一刻も早い平穏を。

無神論者だから神には祈らない。でも一秒でも早くこの終わりの見えない苦しみが終わることを願っています。

私たちは歴史の転換点を生きている。

そして、この戦争が終わった時には、勝った側が歴史を作ることになる。目を見開いて現状を見ておきましょうね。

勝者が作る歴史に否と言えるように。

 

 

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最後に。ウクライナ、ロシア情勢について、情報が耐えず入ってくるこの状況を辛く思う人もいるかも知れません。

辛いと感じたならば情報を絶って、自分のために時間を使ってくださいね。