あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

今週のお題「自由研究」

こんばんは。日が落ちたら窓を開け、夜風にあたる様に心掛けている今日この頃です。

窓からそっと吹き込む風が心地好く、ページを捲ったり、文字を打つのが楽しくなります。

夏は夜。月のころはさらなり。

平安時代から変わらない感覚を忘れずに過ごしていきたいなぁと毎年、夏の夜に思います。

さて今回は、今週のお題「自由研究」について書こうと思います。

私の話をしても詰まらないと思うので…私が人生で一番感動した自由研究の制作物のお話をします。

思い出すのは中学校時代。

夏休みが開けた始業式の朝、教室で提出物を並べていたら「自由研究、やんの忘れてた!」と声が聞こえました。

私は「終わったなコイツ…」と思っていたのですが、彼は黒板の前に立ち「裏紙ない?!あったらちょうだい!」と叫びだしました。

無事、裏紙を手に入れた彼はトイレに走り出し、トイレットペーパーの芯を持って帰ってきました。

「誰か!助けて!セロテープ頂戴!!!」

そして30秒後には、裏紙の上にトイレットペーパーの芯を立てた「ペン立て」が完成していたんです。

忘れたことに気づいてから僅か数分で自由研究の作品を完成させ、提出用紙も書き、彼は堂々と「環境に配慮したペン立て」を提出したんです。

感動しました。コイツが天才だ…と思いました。「天才の一瞬の閃きは〜」と言いますが、まさにその通りだと思った瞬間でした。

私の通っていた中学校は自由研究の幅(?)が広かったこともあり、制作物の提出も許されていたので、彼は無事、評価を受けることが出来ました。

(研究の結果を方眼紙にまとめて提出している子も沢山いましたが、私を含む不真面目な人達は制作物を提出して済ませていました。)

担任の先生は受け取りを拒否するような素振りを見せましたが「いやいや!こんなに良いものないでしょ!」とみんなで押し切り、受け取らせた記憶があります。

他人を見て「天才だ」と思ったのは、今のところ彼が最初で最後です。本当にあれは素晴らしかったですね。

今でもよく覚えている「自由研究」の思い出です。

⿴⿻⿸

ここからは私の話もしようかな。

自由研究と言えば夏休みの宿題!ということで皆様に質問です。

夏休みの宿題を計画的に進めるタイプでしたか?それとも、最終日まで殆どやらずに絶望するタイプでしたか?

私は最終日まで殆ど何もやらず、ギリギリになって焦り、提出日までに何とかするタイプでした。

縄跳びカードや観察日記などコツコツやらねばならぬ物も全て最終日に書き込み、あたかも毎日やっていたかのようなフリをして提出していました。

算数・数学のドリルや漢字の書き取りも夏休み終了2日前から死ぬ気でやりました。

最終日に、読書感想文、環境保護ポスター制作、自由研究が残り絶望するのが恒例行事でした…良い子のみんなはマネしないでね。

読書感想文は今までに読んだことある本を思い出して適当に書いて提出。(読書感想文を秒で終わらせる方法について今度ブログに書きます)

ポスターは適当に山の絵を描いてレタリングで「山の自然を守ろう!」とか描いて提出。

そして本題の自由研究は…やりませんでした〜!

自由研究というと夏休みの宿題でも(リサイクルペン立てを作れる様な人は別ですが)時間のかかるものの一つだと思うのですが、私は困ったことがありません。

私は小学校3年生から絵画教室に通っていたのですが、絵画教室では絵を習うだけではなく色々な工作もさせてくれていた為、授業の一環で作った置物や壁掛け、小物入れ、焼き物などを夏休みに作ったことにして提出していました。

絵画教室には画材も機材も何もかも揃っていた為、楽しく好きなものが作れましたし、一年に幾つか制作していた為、毎年提出しなければならない自由研究にも困ることがありませんでした。

制作理由、材料、作り方、作った感想、を書いて作品と一緒に提出していたのですが、毎年頑張って作った感のあるものを出していたので評価も悪くなかったように思います。

自由研究は本当に困ったことないですね…真面目に研究している子も居ましたが…楽した方がいいですからねぇ。

そもそも私は夏休みの宿題は不必要だと思う派なので、さっさとこの世から無くせば良いと思うのですが中々無くならないですよね。

大学に入り漸く夏休みの宿題から解放されましたが…なぜ休みに勉強をさせるんだ…なんのための休みだ…毎日ごろごろさせてくれ〜!

読書感想文に苦しむ少年少女の代筆をしたいと毎年思うくらいには、夏休みの宿題は不要だと思っています。

どうせ真面目にやんないよ!夏休みの宿題を真面目にやる子は普段から真面目に授業を聞いてます!まともにやんないやつは普段から授業聞いてないから紙とインクの無駄!!!(過去の私の事です)

宿題をやらず何をしていたの?と思う方もいると思うのですが、それっぽくまとめると、

小学生の夏は1年生の頃から一人で飛行機に乗って北海道の祖父母の家に遊びに行っていました。毎年2週間近く涼しい祖父母の家で過ごしていた上、冬休みも行っていたので北海道は第2の故郷です(言い過ぎ)…久しぶりに祖父母に会いたいなと思いました。

中学生の夏は毎日部活で休みが本当になかったのですが、それでも楽しい生活を送っていたので中学生の頃の活力はすごかったんだなとしみじみ。たまにある休みは友達と遊んだり、ごろごろして過ごしていました。テニス部だったので肌が日に焼けすぎてアンパンみたいな色でした。懐かしい。

高校生の夏は毎日部活(略)バドミントン部だったので日にはあまり焼けませんでしたけどね!他にも文化祭の準備も夏休みにしてたなぁとか色々思い出しますね。三年生になると宿題もなくなって快適でしたね。忌々しい夏休みの宿題から開放されたあの夏。

大学生の夏は人生で一番自由でしたね。毎日ごろごろだらだらして過ごしています。程々にバイトして、つべみて、本読んで、ブログ書いて、お茶飲んで…良い。ずっと続いて欲しい。

という感じです。好き勝手生きてきましたねぇ。

まだ何もしていませんが、今年の夏は免許の取得と卒論制作をせねばならぬので程々に頑張らないとな…もっとのんびりしたい。

就職する前にはコロナが収まり、春休みには旅行ができることを信じてバイトをしつつ、楽しい夏にしたいですね。

明日は、当店がごり押ししているコミックのポップを完成させる為に予定のなかったバイトが入ったので夜更かしはしないようにしないと…ということで、おやすみなさい。

皆様良い夢を!

✏️芥川龍之介『蜘蛛の糸』

今晩は。夏休みになり投稿頻度がかつてないほどに高まっている雨傘です。

今回は、芥川龍之介蜘蛛の糸』について書いたレポートが出てきたので載せようと思います。

始めの方は蜘蛛の糸の草稿や内容についての説明、先行研究の紹介です。最後に私の拙い考察があるので、芥川の書き間違いとか草稿にあるメモの内容なんて興味ないよーって方は考察まで読み飛ばすと良いかと思います。

そして縦書きで書いていたものなので(ブログに貼ったことにより)表記が変わっているところがあります。読みにくいかもしれませんが御容赦ください。

正直、文字は縦書きの方が早く読めるので縦書きが好きなのですがブログだとそうもいかないので悩ましいですね。

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芥川龍之介の手書き原稿です。(著作権は70年で切れるので大丈夫かと思って載せましたが、若しかするとダメかも…)問題ありましたら即削除しますのでご指摘ください。

転写稿


蜘蛛の糸
芥川龍之介                     

五 一
六 或る日の[事→こと](鈴木)でございます。[御→お](鈴木)[不明→削除]釈迦様は極楽
七 の蓮池のふちを、独りで[ナシ→ぶらぶら→削除] [ナシ→ぶらぶら]御歩きになつて[居り→いらつしやい]
八 ました。[ナシ→ (改段)](鈴木)池の中に咲いている蓮の花は、みん
九 な玉のやうにまつ白で、そのまん中にある金
十 色の蕊からは、何とも[云→言](鈴木)へない好い匀が、絶
十一 間なく[漂つ→あたりへ溢れ]て[参→居]りま[す→した→削除→ (イキ)→
した]。[【ナシ→ (改段)】ナシ→□極楽は丁度朝【なの→削除】でございま【せう→し た 】。] (鈴木)[□→ナシ](鈴木)
十二 [ナシ→やがて][御→お](鈴木)釈迦様は[ナシ→その]池のふちに御佇みに[なすつて→にな【りながら→って】]
十三 、水[ナシ→の]面を蔽つている蓮の葉の間から、ふと
十四 下の容子を御覧になりました。[ナシ→ぶらぶら→削除]この極楽の蓮
十五 池の下は、丁度地獄の底に当たつて居りますか
十六 ら、水晶のやうな水を透き徹して、[針→ナシ]三途の
十七 河や[賽の河原→針の山]の景色が、丁度覗き眼鏡を見る
十八 やうに、はつきり[ナシ→と]見えるのでございます。
十九 するとその地獄の底に、犍陀多と云ふ[大泥棒→男]
二十 が一人、外の罪人と一しよに蠢いている姿
 

バリアント

・草稿七行目
草稿 ぶらぶら
赤い鳥 ぶら〳〵
傀儡師 ぶら〳〵
・草稿七行目
草稿 御
赤い鳥 お
傀儡師 お
・草稿十二行目
草稿 ふち
赤い鳥 縁
傀儡師 縁
・草稿十五行目
草稿 丁度
赤い鳥 丁度
傀儡師 まるで
 

書誌・印刷関係事項

・八頁より十三頁まで
・二段ヌキ カツトの中へ組出。カツト巾一寸五糸 長五寸八糸
・五号 二段組
・総ルビ
・五号 ゴシク
 

蜘蛛の糸について

発行年月日:雑誌『赤い鳥』大正七年七月一日/単行本『傀儡師』大正八年一月十五日
発行所(出版社):雑誌『赤い鳥』赤い鳥社/単行本『傀儡師』新潮社
 

語句の注釈

 蜘蛛の糸
くものいと 蜘蛛の垂らした糸
 釈迦  
しゃか 仏教の開祖で古代インドの仏教の開祖、名前はゴータマ・シッタルタという。用例:釈迦に説法
 極楽  
ごくらく 極楽浄土の略。天国。用例: 極楽の余り風
 三途の河
さんずのかわ 冥土への途中にある川。死んでから7日目に極善、極悪ではない人が渡ると言われている。別名は三瀬川、三途川等がある。
 賽の河原     
さいのかわら 冥土への途中にある河原。三途の川の河原のことを指す。
 針の山  
はりのやま 地獄にあると言われている一面に針が生えている山。
 犍陀多 
かんだた 蜘蛛の糸の主人公。地獄で他の罪人と共に蠢いている。
 

童話『蜘蛛の糸』における草稿の位置

冒頭部分に位置している。あらすじは「或る日の朝お釈迦様が独りで極楽にある蓮池から地獄を覗きみていると犍陀多という男が他の罪人と一緒にいる姿が見えた」という内容である。

 

時、所、人物、語り手、作品内における役割

時:或る日の朝
所:極楽にある蓮池
人物:お釈迦様、犍陀多
語り手:不明。第三者視点で書かれているが釈迦に対しての敬意が言葉遣いから察することが出来るので釈迦よりも身分の低い人物だと推測できる。
作品内における役割:物語の導入部分であり状況説明をしている。

 

草稿の作家における位置

童話を書くことに慣れていなかった芥川龍之介の新たな可能性を見つけることが出来た作品と言える。蜘蛛の糸を執筆後、児童文学作品も生み出している。
 

評価史・先行研究等

ア、同時代評 
三重吉は「芥川が世間で持て囃されるのは当たり前だ。まるで外の奴等とはモノが違ふ。(赤い鳥)始まつて以来、こんな傑作を書いた奴は一人もいやしない」と高く評した。

しかし、正宗白鳥は「極り切った秩序ある世界をやすやすと受入れて、そこに何等の懐疑の苦を感じていない」「ストーブで温められた温室的書斎での仮寝の夢に過ぎないやうに思はれる」と否定的な意見を述べた。

イ、作家の自己言及 
七十五箇所に及ぶ添削を経て公開された、赤い鳥創刊号を手にした龍之介は「どれを読んでも私のよりうまいやうな気がします 皆私より年をとつていて小供があるからそれで小供の心もちがうまくのみこめているのだらうと思ひます」「鈴木さんのは仮名と漢字の使い方ばかりではなくすべてがうまいやうです とてもああは行きません」と述べており、子供を読者として書く必要のある童話に慣れておらず難しかったのだと思われる。

ウ、先行研究 
①     
草稿箇所について関口論では、明るい極楽と暗い地獄の形容に比喩を用いながら二項対立させていると述べている。
又、関口論では過小評価されてきた「蜘蛛の糸」を再評価するべきだと述べている。テーマ主義的な読みは道徳教材化を行い、文学としての面白さを損ねていると考えている為、見事な視覚や嗅覚に訴える情景描写や詩的表現を抑えた上で人間存在の根源を問う読み方を肯定している。犍陀多の喚きや行動が読み手を含む人間全体の問題となり人間の生まれながら負う罪と実在する問題が浮上する事で、子供たちにも理解出来る人間の醜さや哀れさを表現していると考えている。

草稿箇所について言及している先行研究として、山本欣司の『芥川龍之介蜘蛛の糸」を読む』から引用する。

浅野洋氏は冒頭の「極楽は丁度朝なのでございませう」について、「『なので』という説明的な判断を含む推量形――は『極楽』が『朝』だという ことが語り手の推測する一解釈にすぎず、必ずし も事実そのままの記述ではないことを暗示する。」 「現在形を軸とする芥川の原文が『説明の時制』 の優勢な文体」であり、それは「物語内の事象を相対化し、近代的な合理性を超越した物語世界固有の構造に亀裂を生み、その非合理をあげつらう論理(理屈)が介入する道を開く」(傍点ママ)文章だと指摘する。ところが、本当にこの「極楽は丁度朝なのでございませう」という表現が、そのように機能しているか検討してみると、必ずしも浅野氏の指摘するようにはなっていないことがわかる。「蜘蛛の糸」冒頭の段落と最終段落とが、似通った情景描写になっていることは誰しも気づくところである。白い蓮の花が咲き、好い匂いが溢れる、まさに極楽というべき光景には、時間を示す要素が欠落している。ところが、「『なので』という説明的な判断を含む推量形」で語られているにもかかわらず、「丁度朝」という冒頭から、末尾で「午に近くなつた」という時間の推移を疑う読者はいない。文体論的には、浅野氏の指摘は正しいにもかかわらず、この小説が午前中いっぱいを費やして演じられたドラマであるということ自体は疑われることがないのである。それは、物語全体から受ける印象と、「推量形」でありながらも語り手の提示する情報との間に齟齬がないからである。実際のところ、読者は矛盾を感じない限り、不安定な「現在形」や「推量 形」で書かれていても「理屈」をこねたりしない。 極楽の時間が、朝から午近くまで経過した「のでございませう」と語られていても、犍陀多が蜘蛛 の糸を上るのに費やした時間がちょうどそのぐらいかかったと納得したなら、誰も疑問をはさまないのである。

芥川龍之介蜘蛛の糸」を読む』山本 欣司   弘前大学教育学部紀要 第98号:1~9(2007年10月)
 

考察

芥川龍之介蜘蛛の糸』における語り手について

蜘蛛の糸」で語り手は不思議な存在である。物語は語り手によって始められ語り手によって終わる。そんな終始存在感のある語り手について考察する。
  初めに語り手の話し方を見ると、犍陀多に対して敬意はなく「蠢いている」「喚く」などの言葉が躊躇いなく使われている。

これは犍陀多が犯罪者である事や釈迦の垂らした蜘蛛の糸を無駄にする人間性への批判の表れなのでは無いかと考えた。一方で釈迦に対して尊敬語や丁寧語を、読者に対しても丁寧語を使っている。言葉遣いから釈迦に敬意を持っていることは明らかであると思えたが、読み始めて直ぐに登場するぶら〳〵という言葉に違和感を抱いた。

歩くという表現ではなく敢えてぶら〳〵を敬意を表する対象に使う必要はあるのだろうか。違和感を抱いたまま読み進めると三章でまたぶら〳〵という言葉が登場した。

作中に二度も登場するこのぶら〳〵について、『芥川龍之介蜘蛛の糸」の「ブラブラ」を読む : 道徳教材化を拒む作品の文体について』(<特集>批評する文学教育 1993 年 42 巻 8 号p. 36-43)で樋口佳子先生は

もちろん釈迦という特別な存在に対して敬う気持ちがあるからであろうが、以上述べてきたように「ブラブラ」に注目してみると、どうも敬いの気持ちだけではないように思える。少し視点を変えてみると、敬語というのは相手と自分の間に一つの壁を作る。それぞれの領域に踏み込ませないよう、あるいは踏み込まないような作用をするものである。その多用が何を生むかというと、敬いの気持ちは消え失せ、逆に相手を卑下したり、つき放したりする意味を持ってくるのである。

と述べた上で釈迦の行動を通して、

「傍観者的慈善行為に対する芥川の批判の目」が書かれていると言ってもいいのではないか。

と述べている。樋口先生の考察と私は同意見でありそれを踏まえて考えると、語り手は意図して違和感を抱かせるような「ぶら〳〵」という言葉を使っており敬語もその一環であると言うことになる。第三者である語り手は実の所は釈迦に対して救いの手を差し伸べる慈悲深い存在というイメージを持っていないのでは無いかという疑惑が持ち上がる。
 
 次に語り手と登場人物の関係についてであるが、作中語り手は第三者視点で話し続けるので直接登場人物との関係はない。

第一章冒頭の「或る日のことでございます」という時間についての説明や「この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当たつてをりますから」という場所の説明、「犍陀多と云う男が一人、外の罪人と一しよに蠢いている姿が、お眼に止まりました」という登場人物の現状や、登場人物の過去に起こったことなどを事実として述べている。

第二章も引き続き語り手は登場人物の気持ちを代弁つつ事実を述べている。目の前に蜘蛛の糸が垂れてきた犍陀多が「この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄から抜け出せるのに相違ございません」と思ったと述べているのである。

そして第三章では蜘蛛の糸が切れて地獄に逆戻りした犍陀多を見た釈迦の気持ちを「浅間しく思しめされたのでございませう」と述べているが推測の形を取っている為、実際に釈迦がどう思ったかは読者に伝わらない。

第一章、第二章で事実を述べ登場人物の気持ちを代弁していた語り手だが、何故か第三章では釈迦の気持ちを想像している。

この不自然な語り手の変化について『芥川龍之介蜘蛛の糸」を読む』(弘前大学教育学部紀要. 98, 2007, p.1-9)にて山本欣二先生は、

一章・二章と自由に釈迦や犍陀多の内面、過去 の出来事を語ってきた全知の語り手が、三章で突 然、特権を放棄し、釈迦の内面に踏み込むことが できなくなったと考えるのは不自然である。
二章後半から読者が読み取った意味と、三章で指定された意味の間に齟齬が感じられなければ、語り手が過去形で断定しようが「推量形」で説明しようが、語られたことへの信頼が揺らぐことはない。

と述べている。語り手の言葉が絶対になる作中の時間の流れについても同じように

物語全体から受ける印象と、「推量形」 でありながらも語り手の提示する情報との間に齟齬がないからである。実際のところ、読者は矛盾を感じない限り、不安定な「現在形」や「推量形」で書かれていても「理屈」をこねたりしない。

と述べており、語り手は全知全能で特権を持っていると述べている。しかし私は山本先生の考えとは違い、語り手は第三章で釈迦の気持ちを代弁せず推測しているのは「しなかったから」では無く「出来なかったから」であると考える。

三章で釈迦の心を代弁をしない事により語り手の力は全てを把握するものではなく、実際は一章二章で語ってきたような表面的な事実のみ知っているのだと解釈できる。又、仏教の開祖である釈迦の内面を理解できていないが故に、ぶら〳〵という言葉を使う程度の敬意しか持てていないのではないかと考えた。
 
最後に語り手と読者の関係について考えると読者に語り手が物語を語るという一方的なものであり又、蜘蛛の糸において書き手の意志を一番反映しやすく書き手の伝えたい事を読者に伝えるメッセンジャーでもあると考えられる。

作者である芥川龍之介が語り手に何を語らせたかについて『「蜘蛛の糸管見--童話と小説の間』(大学紀要 文学・芸術・文化 22(1), 1-17, 2010-09)にて中田睦美先生は、

初めは〈童話〉をめざし、子供たちに向けてエゴイスティックな我執を戒めるメッセージを伝えようとした芥川だったが、テクスト自体の 文脈や時制に浸潤した近代作家(小説家)としての本性はしだいに抑え難く、やがて心象風景と重なる情景描写に力を注ぐ結果となった。それと同時に、自作の第一の読者でもある 作者は〈童話〉としてのメッセージとは全く逆に、我執が 決して超えられぬ人間の本質であることからも眼をそらすことができなかった。それと同時に、第一の読者でもある作者は、〈童話〉としてのメッセージとは全く逆に、我執が決して超えられぬ人間の本質であることからも眼をそらすことができなかった。

と述べている。語り手により物語の始まりは極楽の鮮やかで美しい描写がされ、中頃は犍陀多が蜘蛛の糸に縋り付くも地獄に落ちるというハプニングが起き、終わりには何事も無かったかのように美しく良い香りが漂い続けるという表現がされている事からも、情景描写にこだわった芥川龍之介の意思が語り手に強く出ていることが分かる。
 
 以上のことから語り手は作者の考えを反映した進行役であるが全知全能ではなく、それ故に読者に考察の余地を多く与える「蜘蛛の糸」において必要不可欠な存在であると考える。
 

こんな感じです。芥川の文字は読みやすい上、先行研究も多くあるので興味のある方が勉強しやすくて良いですよね。

拙いレポートではありますが、興味を持って覗いてくださった方の助けになればと思います。

今読むと「いや、もっと上手く書けるだろ…」と思ってしまうレポートではありますが、締め切りに追われた私にはきっとこれが限界だったのでしょう。反省、反省。

そして!!!お気づきの方もいるかもしれませんが、ついに目次をつけることに成功しました!

長々としたブログもこれで読みやすくなったのではないかなと思います✌️以前書いたブログにも目次をつけた方がわかりやすい回が多々あるので少しずつ修正します。

このブログを読み返して楽しむ猛者が居るかは分かりませんが、少しでも読みやすいブログにしたらファンが増えるかもしれませんしね笑

はい、少し長くなりましたが、芥川龍之介蜘蛛の糸』についてのレポートでした!

お読みいただきありがとうございました。

お題「わたしとインターネット」

こんばんは。

東京オリンピックも今日で終わりを迎えますね。次のオリンピックはパリということで今から少し楽しみにしている雨傘です。

さて今回は、はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」をテーマに書こうと思います。

先日書いた「懐古厨の戯言」や「ギルドマスターの楽しみ方」「ギルド運営論」と多少内容が重複しそうな予感がしますがお許し下さい。

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私がインターネットに触れたのは小学生の頃です。祖母から貰ったパソコンを使ってカタカタしていた記憶があります。

何を見ていたか、正直に言いますと…ニコニコ動画2ちゃんねるです。多方面から嫌われそうなラインナップですね笑

ですが安心して下さい(謎の弁明)

ニコニコで年齢コメや意味のわからない顔文字等、荒らし行為は一切しておりません!

2ちゃんでも半年以上ROMって暗黙の了解を把握するまでは一切書き込みませんでした!

夜中に3DSでこっそりニコ動を見る日もありましたが、荒らし白文字は打ってません!信じて…。

そんなこんなでインターネットに触れつつ、中学校3年生の頃に買ってもらったタブレットで始めたゲームでギルド運営をするようになりました。

そのゲームはかなりチャットの要素が多く(掲示板、ギルドチャット、個人チャット等)2ちゃんねるで培ったネット用語やネナベ技術が役に立ちました。

トンクス!にちゃん!俺たちの故郷!

パソコンより断然スマホを使ってきたけれど「インターネット」という意味では変わらないですもんね。

私がニコ動を見ていた時期は所謂ニコニコ全盛期で、コメントの団結力も凄かったですし、職人も大量にいました。

そのあと少しして3DS勢…これ以上言うのはやめよう…、、、衰退した印象がありましたが全盛期を楽しむことが出来たのはすごく良かったなぁと思っています。

真っ赤な誓い〜と赤コメが流れる様はとても美しかったし、組曲も流星群もDaisukeもbadAppleもUCだってなんだって全部好きです。

ハイポ作ってみたは死ぬほど笑ったな。白魔道士と黒魔道士。「馬とは違うんだな、馬とは」

バ美肉した時は驚いたけど…青春が帰ってきた感じがして嬉しかったな。やぁ。青色一号

おジャ魔女どれみゲイツに、バラライカはいさじさんに汚染された。ライオンは替え歌版で歌えるし、ハム太郎のコールは完璧です。お恥ずかしながらゲッダンはピタッ部分しか踊れません。

BGMはおっくせんまん。書きながら泣いてしまった。色褪せた記憶?とんでもない。鮮明ですわよ〜!

「さぁ読め、お前好きだろ?このブログ。私が決めた今決めた。だから読んで、私のこのブログ。価格は0円〜♪」とか何とか言って伝わらないのに絶望するのは辞めないとな。

色コメで溢れる動画を見てニタニタする日があったんだよなぁ。青春だなぁ。あの頃にニコ動に浸かることが出来て良かったな。きっともう無理なんだろう。

正直に申しますと私は、ツーと言えばカーと返してくれるインターネットに惚れ込んで、今でもその幻想を抱き続けてしまうダメなオタクです。

内輪ネタ感というのでしょうか。おじいちゃん、あの時代は終わったのよ…!と言われてもイヤじゃ!イヤじゃぁ!と駄々を捏ねたくなるのです。

俺たちの閉鎖的インターネッツ!匿名最高!ガバガバ著作権!バレなきゃ犯罪じゃないんですよォ!の世界。

今やったらダメなのは理解していて、勿論やらないのですが脳内がまだあの頃に引っ張られているところがあります。

気をつけないとなぁと戒める気持ち、常に忘れないようにせねば。

ニコニコが廃れ、2ちゃんも5ちゃんになり…色々変わりましたよね。

ニコ厨の私に「10年後の雨傘はつべを見てるよ」と言ったら発狂すると思います。当時はニコ動と共に生きると思っていましたが今では全然見ないもんな…悲し。

全盛期を知っているが故の悲しみ的な…カッコイイ?かっこよくないね。イキってさーせん。

コメ少ないし、視聴者少ないし、ゲーム実況者もみんなつべに移ったので見る必要なくなってしまった。

米炊けと言っても炊く人が居ないんだもの(´;ω;`)

周年記念には覗きに行っていますし、ランキングもちょこちょこ見るのですが、中々刺さらない。

最近良かったのは閃光のハサウェイの偽マフくんの動画ですね。あれは良かった。連邦に反省を促したい。つべにもあったけど笑

当時マイリスに入れた動画を見返しには行くのですが、それだけです。寂しいよぉぉぉお!

軌道修正。私とインターネット…2ちゃんねるニコニコ動画、ギルド運営、Twitter、ブログ、こんなもんかなぁ?

ずっと顔も知らない誰かと繋がって生きてきたのできっとこれからもそうなのでしょう。

匿名性を排除しようとする動きがあるのも知っているけれど、これ以上は辞めてくれと思ってしまうインターネット老人会老害にならんように気をつけんとな。

インターネットが廃れる未来が想像できない。でもニコ動が廃れたようにつべも廃れるのかな。mixiが廃れたようにココも廃れるのかなぁ。

嫌だなぁと思いつつ、適応していきたいなと思う。でも既にTikTokに乗れてないしもうダメかもしれないな。

新たなインターネットについて行きたい。懐古趣味もいい加減にしないと嫌われるぞ。

私はインターネットと共に成長してきて、インターネット共にリテラシーを学び、インターネットの住民とも関係を築いて来ました。

インターネットは変化の早い世界だから、今のインターネットの在り方に適した価値観を有するためには努力を続けねばならないと実感していて、でも住み良いあの閉鎖的で雑多なインターネットを懐かしみたいとも思い、でもこのままじゃきっとダメだから変わろうねって思う。

ありがとう、触れてきた全てのインターネット。きっとそれらがなければ私はここでブログを書いていないから。なんだか人生って面白いですね。

当時一緒にコメントを打った誰かがこのブログを読んで懐かしんでくれたら嬉しいなと思います。

「雨傘が午前5時くらいをお知らせします。」

はてなブログTwitterにおやすみなさい。せいぜい良い夢を見なさい。大人はもう寝る時間よ〜♪

今回のブログ、刺さらない人には全く刺さらない内容だったろうな。よくわかんなかった方は大百科に解説があると思うので調べて見てください。

…そろそろ明日のバイトに差し障りそうなので眠ります。おやすみなさい。

 

✏️堤中納言物語「虫めづる姫君」

今晩は。数年前に書いた「虫めづる姫君」についてまとめたメモのようなものがあったので貼っておこうと思います。

(引用→私の感想、の繰り返しです)

概要

虫めづる姫君」は、古典には珍しい短編集『堤中納言物語』の中の一編である。王朝の姫君のありようとは異なった、毛虫が好きな変わり者の姫君を主人公とする。(今村みゑ子『「虫めづる姫君」論』より引用。)

蝶の好きな姫君の隣の邸に安察大納言の邸があり、この邸の姫君は、物の本体こそ心ばえがあるものと思い、蝶の本体である珍しいさまざまな毛虫ばかりを集め、年ごろになっても化粧さえせずにいた。両親も侍女たちも困惑するのだが、陰口も何のその、姫君は男童を使って虫を採集するのであった。

とうとう世間の評判になって、右馬佐という上達部の息子は帯の端を蛇の形に似せて動くような仕掛けをして、鱗模様の懸袋に入れて文を送るといういたずらを試みる。姫君は恐ろしいのをこらえながら、贈り物についていた歌を詠み、無風流な厚紙に片仮名で返歌をする。物好きな右馬佐は風変わりな、この様子に面白いと思い、友人の中将とともに卑しい女の姿に変装して立蔀の陰から垣間見をする。姫 君は評判通りで、あきれはてて、姫君の姿を見たという歌を贈って、笑いながら二人は帰った。(『鑑賞 日本古典文学 第十二巻 堤中納言物語 とりかへばや物語』より引用。)

上記からもわかるように、当時の女性のステレオタイプから脱却した個性的な生き方をする姫君と周囲の物語である。

特色

姫君は、良く言えばとても個性的で、悪く言えば変な人である。蝶ではなく毛虫を好み、眉のお手入れもしなければ、お歯黒もしない。当時の常識から考えると、彼女の存在はどこまでも非常識であり、周囲からすると受け入れがたい存在であろう。でも、ただの変人なのかというと、決してそうではないところに、彼女の魅力がある。(菊池 杏子『「虫めづる姫君」との出会い』より引用)

姫君には一貫した論理主張があり。それは「物の本当の姿を知ってこそ心が深い」というものである。そして「本当の姿」とは、「変化する」ということである。事物・事象は「変化する」という見方が姫君の根本にある。(今村みゑ子『「虫めづる姫君」論』より引用。)

虫めづる姫君」の姫君は、良く言えばとても個性的で、悪く言えば変な人である。蝶ではなく毛虫を好み、眉のお手入れもしなければ、お歯黒もしない。当時の常識から考えると、彼女の存在はどこまでも非常識であり、周囲からすると受け入れがたい存在であろう。でも、ただの変人なのかというと、決してそうではないところに、彼女の魅力がある。私はきっと、彼女の魅力に魅せられてしまったのだと思う。

「恋は盲目」とはよく聞く言葉で、別にこれは恋ではないが、とある人の中に自分にとってとても好ましい部分を見つけてしまったとき、その人の欠点というものは誰しも見失うものではないだろうか。

私は、彼女の言葉に好ましさを感じ、人としての魅力を感じた。毛虫を好むことにも、化粧を嫌うことにも、彼女らしいもっともな理由があり、彼女はそれを譲りたくないだけなのだと知ったとき、何だかとても愛しく感じてしまったのである。たしかに、毛虫を好むことや化粧をしないことは、彼女の女性としての魅力を損なうことかもしれない。しかし、それが彼女の人としての魅力を損ねているとは私には思えなかったのである。(「虫めづる姫君」との出会い(菊池 杏子)より引用。)

引用からもわかるように、一般的な考えに流されず己を貫く女性像は現代でも憧れられるもので、当時の女性としてとても珍しいものであった。

その珍しい姫君の中に美しさを見出すことが出来た男も、固定概念に囚われない柔軟な思考を持った人であったとわかる。

諸論

先行研究において、虫を愛でたり化粧を拒んだりする行動は、単に異例な行動として否定的に捉えられてきたが、姫君の言葉を検討すると、表面的に変化した事物への一時的な評価を忌避し、事物の根源を探究した上での判断を重視する信念に基づくものであることがわかった。また、作り物の蛇を贈られた時と垣間見された時の、一見一致していない様に思われる反応は、恐怖や羞恥で狼狽しながらも感情を一切口にせず、見た目という表面的な姿形ではなく人や事物の本質的な部分による判断を重視するという信念を述べ、実践しようとしていると考えられる。(庄野彩霞『「虫めづる姫君」の主題』より引用)

姫君の言葉の中でも、特に好ましく感じたのは、「人々の、花、蝶やと愛づるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地尋ねたるこそ、心ばへをかしけれ」「ひとはすべて、つくろふ所あるはわろし」(『鑑賞 日本古典文学 第十二巻 堤中納言物語 とりかへばや物語』より引用。)という部分である。はじめてこの物語を読んでみたとき、「表面的なものを好み、その物事の本質を知ろうとしないなら、それを好きだとは言うな」「なぜ(化粧などして、わざわざ)装わなければならないのか」と、なんとなく空気を読んで周囲との歩調を合わせようとしている私自身に言われた気がしたのである。この物語における彼女の行動や描かれ方は、当時の人々にとってはへりくつで滑稽なものであったかもしれない。(「虫めづる姫君」との出会い(菊池 杏子)より引用。)

当時の感覚では、こんな姫君はありえない、存在しない、とフィクションとして捉えていた可能性も高いが、現代において姫君の生き方は決して不可能ではなく、自立した思考の女性の理想とすることが出来る。

滑稽な姫君の物語としてではなく、かっこいい女性の物語として、時代を超えて様々な愛され方をする作品と言えるのではないだろうか。

参考文献

今村みゑ子『「虫めづる姫君」論』

野村倫子『「堤中納言物語」「虫めづる姫君」の世界』

福田景道『虫めづる姫君の異能性』

小島 雪子『「虫めづる姫君」と仏教』

井上 新子『「虫めづる姫君」の変貌』

庄野彩霞『「虫めづる姫君」の主題』

菊池 杏子『「虫めづる姫君」との出会い』

大したことは書いていませんが、誰かのお役に立てていたら嬉しいです。

 

 

貯金

今晩は。来年度から始まる労働を憂いる今日この頃です。

さて、今回は貯金についてです。初任給…どう使おうかな()

私は実家暮らしを継続する予定なので、働き始めたら家にお金を入れることになります。三万円で許されるだろうという甘い考えの元、一万円から交渉をスタートする予定です。

「一万」「5万」「一万五千」「4万5000」「二万」「4万」「二万五千」「3万5000」

「「三万!」」ってやつです。多分許されるでしょう(?)

家に入れるお金が三万円で済めば、月に十万円くらい貯金が出来ると思うので30歳になる頃には一千万円ほどになるのではないかと考えています。無理かなぁ…?

元々お金をあまり使わない質であることや、今でも尚お小遣いを貰っているゆるゆる実家暮らしであることが幸いし、ちょっとは貯蓄があるのですが…老後を思うとまだまだ足りません。

幼少期からお年玉を使い過ぎないように管理して貯金してきましたしね。お金の管理は結構しっかりしているタイプだと思われます。

住んでいる家を貰うつもりで子供部屋おばさんとして暮らせば40歳になる頃には二千五百万くらいはたまりそう?無理?

独り身の老婆が生きていくためには幾ら貯金があればいいんや…こわいよぉ…私達、年金貰えない予感するし…うっ…いやだぁ…働きたくないよォ…

正直、既に働いている友人達を見ていると働くのって大変なんだなぁと当たり前のことを思い、悲しい気持ちになっています。

働きたくないでござるorz

目標貯金額を決めることで仕事へのやりがいに繋がればいいなとも思い、30歳で一千万円貯金を掲げようかなと思う深夜三時半。

貯金についてネットで調べると、貯金をする方法!というようなサイトが山のように出てくるがそんなのは求めていないのだ。

貯金ができる性格がどんなものかを語るブログも覗かせて貰ったが読む前からわかっていた。私は向いている。

同じことをずっと続けることに抵抗がないので貯金をし続けるのが本当に向いている。

中学生の頃から毎日ギルチャで挨拶し、毎日ギルドバトルに参加し続けているのだ…継続力に自信あり〼

酒もタバコもギャンブルもやらんし、恋人もいないし、ブランド物にも興味なし。お金のかかる趣味は旅行くらいだけど頻繁に行く訳では無い。

精々本を買ったり、観劇したり、美術館に行ったり、友達と遊んだり…そのくらいしかない。

私はオタクだけどアイドルとか俳優とか遠征費がかかるタイプのジャンルでもないし。漫画は買ってるけど数年に一冊新刊が出るかどうかだし…かなりのんびりなのでなぁ。

貯金の妨げになるものが何も無い。普通に生活するだけでお金が貯まる環境にいるように思う。

勘違いなのだろうか?現時点では判断が出来ないけど、だいたいあっている気がしている。

みんながどのようにお金を使っているか分からないからなんとも言えないけれど、他の大学生と比べると、装飾品にあまりお金を掛けていないのが大きいのかもなぁと思ったり思わなかったり。

あと遊び方?あまり高頻度では遊ばない上、お酒は基本飲まないので出費が抑えられているのかなぁ?わからない。

学生のうちは貯金なんてせず遊んでおけ!と言うけれど、自分なりに楽しく生活してても貯金されてんだよなぁ。

ここまで書いてきて、私の「遊んでいる」や「楽しい」がかなり安上がりな可能性が高いなと思った。

友達と部屋で転がってるだけで楽しかったなと思うタイプなのでそういうことだろう。

何の予定も無くても楽しいタイプなんだよな…お絵描きしたり、ぼーっとしたり、部屋で転がって過ごして満足してしまう。

ひとりっ子な所為か?一人で過ごすことに抵抗もなく、一人で遊ぶのも得意だし。面白いね。

はい、まとまりなく終わってしまいますが、今日はここまで。

四時半だ〜!今日はバイトだよ…寝ないとな…人生最後の夏休み、謳歌したい。でもこの状況じゃ中々遊べないね。切ない。

おやすみなさい。

 

 

「若者」の1人として選挙について語る

一応、若者として選挙について語る。

私は選挙権を18歳で得てから一度も欠かすことなく投票に行っている。

私の中で投票に行くことは、権利であり、責務であり、意思表示の方法だから、必ず選挙に行くし投票する。

意味があると信じているから行き続けるし、周りが行かなくても関係ない。

投票は法的に義務ではないが、選挙権を得たのだから、まだ選挙権を持たない若者の為にも投票に行く。
それが権利を持つものの務めでは?と思っている。

私はまだ社会に出てすら居ない子供で考えも浅いのだろうが、それでも未来を思って投票に行き続けることは良い事だと信じているし、そう思いたい。

私はこの国を愛しているし、ここに骨を埋める気だけれど良い所も悪い所もあるでしょう。

気に入らないならば出ていけば良い、というのは暴論だと思う。悪い所があるならば直せば良い、住み良い国になるのは悪いことじゃない。良い所は残せば良い。

綺麗事だと思われるだろうが、綺麗事を言えない、理想を抱けない社会じゃだめだと思う。私はこの先を生きる若者、将来の大人にとって希望を抱ける社会にしたいと思う。

この若者とは私達ではなく、まだ「諦めていない世代」のことを指している。

私たちを取り巻く「諦めの感情」が政治への関心を奪っているようにも思う。少しでも政治や国に対して関心を持てる環境や社会になればとも思う。

周りの様子を伺うに、関心がないのは「投票しても変わらない」「どうせ良くならない」と思っているからだと感じて根深いなと思う。
未来に対して明るい印象を抱いたことがないという事実…夢や希望も中々ない状態。

私は小学校の低学年まで「ゆとり」と呼ばれていたし、残念なことに年金は貰えないだろうとずっと言われ、将来は安定した職につかないと不味いだろうと言われてきた。
そして親世代の言う当たり前の幸せの実現が不可能に近くなってしまっていることも原因だと思う。

マイホームに夫婦と子供2人の四人で住み、自家用車を持ち、たまに家族で旅行をする。

私たちは親世代の言う当たり前の幸せを夢見ることが出来なかった。価値観が違うのは当たり前だろう。

私が見た限りでは「どうせ手に入らないなら欲しいと思わない方がマシ」という考えをもつ人が多い印象で、凄くよく共感できる考え方である。

だが不満があっても改善する意欲がなければ政治への関心は向かないだろう。

世代によって世界への認知が結構違うという事実。頭ではわかっていても、しっかりと理解出来ていない人が多いように思う。

私達の中に、いくらやってもダメなものはダメって考えが当たり前にある事実が多分伝わりにくい。

個人がそう思うのではなくて当たり前にそう思っている人が周りに沢山いる。(勿論そう思わない人もいる)

手に入るだけの幸せを求めれば辛い思いをしなくて済む、という考え方をするのが「賢い生き方」とされている可能性を考えて貰えると、世代間の価値観のギャップは埋められるのかなと思う。

私達も歩み寄らねば。割合を考えれば私たちの方が少ないので容認されるかはわからんが。

熱血、とか根性、とか頑張ればどうにかなる。という考えができない理由を考えた時、思いつくのは「成功体験がない」ということだった。

景気が良い時代を生きた経験がない、と聞いてどう思うかだと思う。

小学校3年生でリーマンショック

小学校5年生で大震災。

不況、少しの回復、震災、復興、震災、復興…そして疫病。

今の大学生の両親はバブル世代、就職氷河期世代ですが…多分伝わらない。
生きた時代が違うから価値観も違って当然なのだが、親世代の人口はとても多く、正しいのは数の多い方になる。

少し逸れているが私は価値観の違いについて、あれが良い、これが悪いと言いたい訳では無い。

世代間にある認識の違いが、世の中への関心の違いにも現れるんだと思うってことが言いたい。

オリンピックの東京誘致が決まった際に「もしかしたら景気が良くなって就活楽かもよ」と言われたことを思い出す。

それと同時に、半年掛けて掴み取った内定をコロナウイルスでの経営悪化を理由に取り消された先輩を思って胸が痛む。

私達に足りないのは成功体験では、と思わざるを得ないのだ。

景気の良い時代を生きさせてくれよ。未来に希望を持たせてくれよ。何も考えなくともこれからきっと良くなると思わせてくれよ。

私には何ができるだろうか。

諦めてしまった若者に、若者としてできることはないだろうか。

私は諦めることを悪いとは思わない。自己防衛の一種だと思っているから、諦めることを責め立てるのは違うと思う。

諦めてしまうような環境を変えれば、既に諦めてしまった人は無理でも、まだ未来に希望を抱く可能性がある、私たちよりもっとずっと若い世代が「やってやろうじゃん」って思えるようになるのではないか?

ならないかもしれないけれど、なる可能性に夢を見て、私たちが今からやらねば変わらないと思う。

言いたいことは分かる。我々の一票は軽い。

いくら入れても伝わらない、私が入れてもどうにもならない、そうだろうよ、事実だよ。

でも、だからといって諦める理由にはならないと、そう思えるような状態を作らねばならない。

私は偶然諦めなかったからこうなったが、私が諦めていた可能性だってある。

若者の政治への関心は勝手になくなったのではない。

今の若者の様子を嘆く、皆々様が奪ったのだと少しでいいから考えて見て欲しい。

国が人の集まりである限り、政治や国のあり方というのは人が作るものだろう。

我々の夢や希望を奪った自覚はお在りだろうか?

周りのせいにするのもいい加減にしろとここまで読んだ皆さんは思ったかもしれない。じゃあ、なぜこうなった?

私たちが勝手に諦めたと思う?時代のせい?違うだろう。

我々から「競争」を奪った「ゆとり教育」をさせたのは、当時の有権者だ。違うか?

大人の都合で勝手にゆとり教育を受けさせられ、ゆとりと馬鹿にされ、やっぱりなしとゆとり教育を辞めさせられ、根性論で溢れかえる教育者たちに揉まれてここまで来たんだ。

なぜ我々がさとり世代と呼ばれているかわかるか?なぜ馬鹿にされて怒らないのかわかるか?

怒って何にもならないと諦めているからだろう。この根深い諦観は幼い頃から積み重ねてきた失敗と叱責と未来に対する絶望、社会への失望が産んだものでは無いのか。

私がここまで言うのは誰も声を上げないからだよ。誰ももう何も思わなくなっている。

我々の声を奪ったのは誰だ、それを1度考えて見てほしい。

私はそうなりたくないんだ。私よりもっと若い世代のためになることをする、と決めて18歳から投票に行き続けている。

若者の投票率を上げる。若者の為を思ってくれる政治家を応援する。

これは高齢者や我々よりも上の世代を蔑ろにしている訳では無い。「弱者」から搾取するのを辞めてくれ、と言っている。

頼む、どうか、同世代の皆さん。自分と未来の大人の為に投票に行ってくれ。意味が無いように見えて意味があるから、信じる元気も無いかもしれないけど紙に名前を書いて箱に入れるだけでいいから頼む。

とうの昔に有権者になっている皆さん。このブログを読んでイライラしました?生意気言ってごめんなさい。ですが、この国が今だけではなく未来も住み良くあるためにお力添えを頂きたい。

このブログに意味があるかないかはわからないけれど、もしかするとこれを読んだ誰かひとりが投票に行くかもしれない。

友人が投票に行くのを見て、自分も行ってみようかなと思う人がいるかもしれない。

バタフライエフェクトという言葉もある。何か、少しで良いから変わりますように。

願いと思いを込めて書きました。

随分と長くなりましたが、お読み頂きありがとうございました。

(⚠️実の所私は、ゆとり世代ではなくZ世代らしいのですが…ゆとり、さとりと言われたことしかないのでそう書かせて頂きました。ご理解頂きますようお願い致します。)

㊗️「二年」

2019年7月14日、パリ祭の日にブログを開設してから2年が経ちました。

いつも応援ありがとうございます!読んで下さる皆様には感謝してもしきれません。

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パリ祭の日に始めたおかげで記念日を忘れずに済むので過去の私にgj👍

旅行記もまた書きたいです。旅行できるようになったらなぁ…。

過去の記憶を引っ張り出し、イギリス編やマルタ編、スペイン編などなど書いていこうとも思っているので気が向いたら覗いて見てくださいな。

⿴⿻⿸

さて、本日は皆様にもう1つご報告が有ります。一緒に喜んでください!

…長々と続いていた就職活動でしたが、雨傘、内々定を頂きました!どんぱふ〜🎉

本当に有難いことです。よーし、お仕事頑張るぞ(学生のうちに思いっきり遊ぶぞ)

詳しいことは書きませんが、私の人生ってこんな感じだよなぁと思う就職活動でした。

めちゃめちゃ悩んで、モゥムリ…ってなって、現実逃避して、そろそろやるかって吹っ切れた途端、上手くいくみたいな…いつものパターン。

いっつもそうだな。きっとこうやって生きていくんだなぁ(しみじみ)

そして「この人生、算数や数学を克服せずとも問題ない」と確信を持ちました!就活もなんとか乗り越えられたし!!

算数、数学を私に教えてくれた教師や友人、全ての関係者の皆様、本当にご迷惑とご心労をお掛けしました。本当にありがとうございました🙇‍♂️

これで遂に算数や数学といった数の世界から解放されるはずです!もう無理、これ以上は無理…本当に一生無理!センキュー数学、もう二度と顔を合わせたくないよ。

人間ダメなところは必ずあるけど、私のダメなところ(暗記能力や計算能力)は、コミュ力で補えることが判明しました。

これから就職活動をする皆さん、SPIや玉手箱、Webテスト、筆記テストの勉強、頑張って下さい。

早めにやった方がいいです。既に無理だと諦めてる人は私のようにコミュ力で乗り切ってください。意外といけることが判明しました。

就活に関しては今度まとめて書こうと思いますが今は書きません!入社したら書きます👍

私のような人に来る内定というのはご縁というやつです。縁があった、とにかく縁があった。もうそれだけな気がします。

半年後の私はこの就職活動を笑い話にすると思いますが、いや〜疲れた、もう一生やりたくないと切実に思っていることをここに書いておきます。

多分相当笑える内容になると思うので未来の私はブログに書くと思いますが…辛いもんは辛い。もう一生やらん。

そうだな、もう一つ言うなら、私を落とした会社は見る目がなかったです。そう思うようにしました。

こんなに性格が良くて居るだけで周りを明るくする有能な人材にお祈りするなんて見る目が無さすぎたんだ!そうだそうだ!

よし、切り替えていきましょう。卒業しなきゃですからね。卒論も頑張ろ💪

⿴⿻⿸

いつの間にか2年経ち、ブログの内容も当初予定していた旅行記からは離れたものになっていますが「日記のようなもの」としては正しい在り方だと思っています。

きっとこれからもブログをのんびり更新していくと思うので…もし良ければ応援してやって下さい。

ここまで読んでくださりありがとうございました。また覗きに来てください。

 

二年目の雨傘