あまがさの日記のようなもの

書きたい時に書く日記のようなブログです。

梶井基次郎『泥濘』

今晩は。突然ですが皆様は梶井基次郎をご存知でしょうか?彼は私の大好きな作家のうちの一人です。

「得体の知れない不吉な塊が私の心を終始抑えつけていた」で始まる、彼の代表作は『檸檬』。国語の授業で読んだことがある方も多いのではないでしょうか。

今回話すのは『檸檬』の前身と言われる『泥濘』という作品です。鬱々とした仄暗い感情を美しい文章で表現したこの作品に私は惚れ込んでいます。

そんな『泥濘』についてのレポートを発掘したので貼ろうと思いブログを書き始めた深夜3時…満足したら眠ろう。

多分大学一年生の頃に書いた、拙い、本当につたないものですが…手は加えず当時のまま貼り付けたいと思います。

ご理解頂ける方のみお読み下さい。

梶井基次郎 『泥濘』
「自分」の抱く複雑な感情に共感できるのは何故か

『泥濘』という作品は私にとって、同作家の別作品である『檸檬』と比べても、共感するところの多い作品である。何故、共感できるのかについて考察していきたい。

一つ目に、「自分」は「自分」の状態を消極的な言葉や否定的な言葉など多くの言葉を用いて表現することで想像しやすくなり、読者が自分に当て嵌めて読む事ができるからなのではないかと考えた。

やめた後の状態は果してわるかった。自分はぼんやりしてしまっていた。その不活溌な状態は平常経験するそれ以上にどこか変なところのある状態だった。花が枯れて水が腐ってしまっている花瓶が不愉快で堪たまらなくなっていても始末するのが億劫で手の出ないときがある。見るたびに不愉快が増して行ってもその不愉快がどうしても始末しようという気持に転じて行かないときがある。それは億劫というよりもなにかに魅せられている気持である。自分は自分の不活溌のどこかにそんな匂いを嗅いだ。

この段落では、ぼんやり、不活潑、不愉快、億劫という単語が立て続けて並んでいる。不愉快は三回、不活潑と億劫は二回使われている。この後も中途半端、何をする気にもならない、自分の動かない気持ちなど、受動的でネガティブな言葉が頻出する。

一つの言葉で表現するのではなく、幾つかの似たような言葉を重ねて使うことで状況を想像しやすく、共感できるようにしているのではないかと考えた。

二つ目に、ぼんやりとした「自分」の状況をはっきりと自分自身が理解していないということを曖昧な文末で表しており、読者の認識と「自分」の認識のずれを減らしているからなのではないかと考えた。

自分は話をしているうちに友人の顔が変に遠どおしく感ぜられて来た。また自分の話が自分の思う甲所をちっとも言っていないように思えてきた。相手が何かいつもの友人ではないような気にもなる。相手は自分の少し変なことを感じているに違いないとも思う。不親切ではないがそのことを言うのが彼自身怖おそろしいので言えずにいるのじゃないかなど思う。しかし、自分はどこか変じゃないか? などこちらから聞けない気がした。「そう言えば変だ」など言われる怖ろしさよりも、変じゃないかと自分から言ってしまえば自分で自分の変な所を承認したことになる。承認してしまえばなにもかもおしまいだ。そんな怖ろしさがあったのだった。そんなことを思いながらしかし自分の口は喋っているのだった。

この段落では、感ぜられて来た、思えてきた、気にもなる、違いないとも思う、じゃないかなと思う、気がした、と曖昧な表現を繰り返している。最後には自分の考えと口の動きは一致していないかのような表現をしており、自分の事を自分の事と認識できていないようだと感じた。
ここで読者は「自分」が自分自身についてもよく理解していないことを、「ぼんやり」のような単語としてだけではなく、考え方からも認識することが出来るのではないかと思った。

三つ目に、「自分」の陥っている思想に読者も身を置いたことがあるからなのではないかと考えた。

ちょうどその時分は火事の多い時節であった。習慣で自分はよく近くの野原を散歩する。新しい家の普請が到るところにあった。自分はその辺りに転っている鉋屑かんなくずを見、そして自分があまり注意もせずに煙草の吸殻を捨てるのに気がつき、危いぞと思った。そんなことが頭に残っていたからであろう、近くに二度ほど火事があった、そのたびに漠とした、捕縛されそうな不安に襲われた。「この辺を散歩していたろう」と言われ、「お前の捨てた煙草からだ」と言われたら、なんとも抗弁する余地がないような気がした。また電報配達夫の走っているのを見ると不愉快になった。妄想は自分を弱くみじめにした。愚にもつかないことで本当に弱くみじめになってゆく。そう思うと堪らない気がした。

「自分」にとって嫌な事が立て続いて起き、その事実を上手く割り切ることが出来ず、ぼんやりとした状態が続いてしまってる状態を作者はとても上手く描いていると感じた。文中に用いられる比喩表現や「自分」の妄想からも、不安定な感情がよく読み取れる。
実際に、自分に自信がなくなってしまった時は周りに対しての信頼も失い、全てが敵に見えることがある。読者自身がそのような経験があるからこそ「自分」に共感できるのではないかと考えた。

ゆっくりと始まり、画面が引いていくように終わる『泥濘』という作品は『泥濘』という題に相応しく、全体的に、暗く重たい印象を受ける。

読者にも共感できる内容を、「自分」が他人事のように表現し、その表現が現実を見ていない「自分」の様子を浮き彫りにして違和感を産んでいるのではないかと思った。

その違和感が作品全体を包む、抜け出せないぬかるみのような雰囲気に合っていて、題名を見てから読み始める読者の読み方の方向性を定めているようにも感じられた。

以上のことから、一つの単語で断定せず多くの言葉を使うこと、曖昧な文末で表現すること、自らの体験と重ねやすい状況を書くこと、の三つが「自分」の複雑な感情を読者にとって親しみやすく共感しやすいものにしているのだと考えた。

 

と、数年前の私が書いています。つ、拙い…と恥ずかしくなるのですが、私が成長したからそう感じるのかなと思うと許せなくもないです。

正直レポートとは言えないですね、読書感想文だな笑

今も変わらず『泥濘』は大好きなので。ぜひ皆様にも一度読んで頂きたいです。

重たくのしかかる、上手く扱えない無気力と倦怠感、どうせ上手くいかないと自分を奮い立たせることも出来ない鬱々とした気持ちを上手く表現していて、共感するところが多いのです。

本当におすすめなので是非!このブログを読んで興味を持ってくださる方がいるといいなぁと思います。

『泥濘』は余り知られていない作品なので、泥濘だけを手に入れることは難しいと思います。

もし読みたくなった方が居たら『東京百年物語 2』をお求め下さい。詳細は以下の通りです。

『東京百年物語 2』ISBN:9784003121726

目次↓

Ⅰ 東京の虚実――世界都市への野心
 普請中 …森鷗外
 人面疽 …谷崎潤一郎
 両国・立秋の日・築地の渡し 並序 … 木下杢太郎
 東京の公園 … 田村俊子
 魔 術 …芥川竜之介
 小僧の神様志賀直哉

Ⅱ 東京スナップ――モダニズムの夢
 招魂祭一景 … 川端康成
 公園小品 …室生犀星
 滅びたる東京 …佐藤春夫
 泥 濘 …梶井基次郎
 押絵と旅する男江戸川乱歩

Ⅲ 東京の陰翳――発展と孤立
 雨の降る品川駅 … 中野重治
 水族館 … 堀 辰雄
 M百貨店 … 伊藤 整
 恐ろしい東京 … 夢野久作
 除夜の鐘・正午 …中原中也
 鮨 … 岡本かの子

最高です。面白い作品しか入っていません。一冊でこんなに楽しめるなんて夢のようではないですか。

特にオススメなのは江戸川乱歩の『押絵と旅する男』です。きっと『泥濘』が好きな人は好きかな?世界観が素晴らしい。歪んだ世界へようこそ。

これを書いたら寝ようと思っていたけれど、少しだけ読んでからにしようかな。

珈琲にミルクを入れてカフェオレにしよう。毛布にくるまりながら短編集を少しだけ読もう。眠くなったらそのまま寝てしまおう。きっと良い夜になる。

こんな秋の夜を幸せだと思える感性で良かった。

早速、珈琲をいれに行かねば…今回はここまで。

読んで下さりありがとうございました。

皆様も素敵な秋の夜をお過ごし下さい。